――気づいた気持ち、捨てなくてもいいですか?




10月 5gの飴と僅かな可能性





 10月に入った。
 文化祭が終わってからというもの、千鶴はすっきりしないものを抱えたまま日々を過ごしていた。
「おはよう、千鶴ちゃん!」
「お千ちゃん!おはよう」
「もう10月なんて信じられない!また中間テストの季節じゃない…」
「あはは…そうだね…。でも、テストが終わったら修学旅行だよ?」
「うん、そうね!北海道は楽しみだけどね!――テストといえば、千鶴ちゃん、今回はどうするの?」
「どうって…?」
「前回の期末テスト前は斎藤さんと勉強会してたじゃない」
「あ…うん…それなんだけどね、先輩からはメールでお誘いがあったんだけど…」
「え!?そうなの!?返事はもうした?」
「ううん、まだなの…」
「どうして…?前のテストで成績上がったって喜んでたじゃない」
「うん…そうなんだけどね……」
 煮え切らない千鶴の態度に、千姫は、ははーんと訳知り顔で身を乗り出してきた。
「千鶴ちゃん、この間の文化祭以来斎藤さんの話題避けてるわよね?…劇のキスシーンが気になる?」
「っ!そ、そんなことないよ!?」
「千鶴ちゃんてば分かりやすいんだもの。今更隠さなくて良いじゃない!ね、気になるんでしょ?」
「…………」
 千姫の問いに答えられず、尚も俯く千鶴に、千姫は苦笑して身を引いた。と同時に、予鈴が鳴り響く。まもなく始業の時間だ。
『生徒会からのお知らせです。本日午後1時より、生徒会室にて臨時会議を行います。生徒会役員は全員出席してください。繰り返します、――』
 放送で流れた声は耳慣れたもので、ぴくりと肩を跳ねさせた千鶴に、千姫はくすりと笑った。
「…斎藤さんの声だったね」
「う、ん…」
 放送が終わっても、余韻を追うようにスピーカーに視線を向けていた千鶴は、ついに観念したように千姫に向き直った。
「この前の劇のお姫さまって、やっぱり斎藤先輩の彼女…だったりするの、かな…」
「キスしてたからってこと?」
「う、うん…」
「それはわかんないんじゃない?よく見えなかったし、本当にキスしてたとも限らないし。むしろ、ふりだった可能性の方が高いんじゃないかしら」
「そう、かなぁ?……でも、どっちにしても先輩に彼女がいるかどうかなんて、私には関係ないもんね…。教えてもらったこともないし…」
「ねぇ?千鶴ちゃん。千鶴ちゃんは斎藤さんに彼女がいると嫌なのよね?」
「………なんか、胸の奥がぎゅってなるよ」
「それなら、関係ないなんてことないでしょ?折角誘ってもらったんだから、行って訊いてみたらいいんじゃない?彼女いるんですか、って」
「え、えぇ!?そんな、無理だよ!!私にそんなこと訊く権利なんてない、し…」
 驚きに、思わず椅子を思いっきり引いて、しかしすぐに尻すぼみになる声が途切れる。
「いい?千鶴ちゃん。私も千鶴ちゃんも斎藤さんにメールアドレスは伝えてるわよね?そして前回のテスト前は3人で勉強した」
「う、うん」
「でも、今回は私のところには何の連絡もないけど、千鶴ちゃんには誘いがあった。そこに私のことは書いてたの?」
「…書いて、なかった」
「つまり、そういうことじゃない?斎藤さんは千鶴ちゃんと一緒に勉強したいと思ってくれてる。少なくとも、一緒にいることを嫌とは思われてない。それなら、その望みに応じて一緒に勉強すればいいし、彼女のことだって、きっと訊いたところで怒られたりしないわ」
「でも……」
「こんな状態で修学旅行に行っても楽しくないじゃない!どうせ彼とは学年が違うんだし一緒には行けないんだから、離れ離れになる前に気がかりは減らしておかないとね!」
「離れ離れって…たった一週間くらいのことじゃ…」
「一週間を甘く見ちゃだめ!何が起きるかわからないんだから、善は急げ、よ!ほら、早くお誘いメールに返事して!!」
 千姫の剣幕に押され、千鶴は渋々ながらも携帯を取り出した。受信ボックスを開き、返事をしないまま少し下に流れていたメールを開く。

From 斎藤一
Sub (non title)
もうすぐ中間試験だが、勉強は進んでいるか?
俺は前回同様、放課後は自習室にいるゆえ、良ければ雪村も来ないか?

「……」
 メールを再度読んで固まっていると、再び千姫にせっつかれた。
「ほら!早くしないと先生来ちゃうでしょ?」

To 斎藤一
Sub Re:
お返事遅くなってすいません。
そしたら、お言葉に甘えて私もご一緒させていただきます。
先輩の受験勉強のお邪魔はしないので、よろしくお願いします。

 一通り文字を打ってみるが、これで良いだろうか。何度も短い文章を読み直して送信ボタンを押すのを迷っていると、ガラガラと音を立てて教室の扉が開いた。
(っ!?)
 驚いたはずみで、指が送信ボタンを押していた。あ、と思ったときには送信完了の文字が出て、すぐに消える。もう送ってしまった。

「お前ら、席につけー」
 担任の土方が教壇に立ち、出欠を取り始めたので、慌てて携帯を鞄に入れた。いつの間にか、千姫も自分の席に戻っていた。


 その日の放課後、躊躇いながらもメールをしてしまった以上は守らなければ、と自習室に向かった。
 一緒に勉強しないかと千姫を誘ったが、「ちゃんと訊きたいことは訊いてくるのよー」という言葉と共にひらりとかわされ、先に帰ってしまった。
 自習室の扉の前でいったん深呼吸をする。取っ手に手をかけて扉を開こうとした、そのとき。
「…扉の前で立って、何かあったのか?」
「!?」
 勢いよく振り返れば、目の前には斎藤がいた。
「せ、先輩…!いつからそこに!?」
「つい先程だが…」
「そ、そうでしたか!あの!誘ってくださってありがとうございました!」
 取っ手にかけていた手を離し、勢いよく身体を折った。
「いや…。それより、いつまでもここで立っていては通行の邪魔だ。中に入るぞ」
「あ、はい…!!」
 丸テーブルは空いていなかったので、壁際に置かれた長机に並んで腰掛け、黙々とそれぞれの勉強を進めた。左利きの斎藤と右利きの千鶴。シャーペンを走らせる右手が、右側に座った斎藤の左手に触れてしまいそうになるたび、胸が高鳴る。
(そ、っか…。先輩に彼女がいたら嫌だと思うのも、声を聞くだけで反応しちゃうのも、…近くにいるとドキドキするのも、みんな――、)
 すき、だから。
 自覚した千鶴は、気になってしまう右側を見ないように、無心に古文の教科書を睨めつけるように見る。

 ――しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと ひとの問ふまで

 どうか、高鳴る心音を聞かれてしまいませんように。


 結局、中間試験が終わるまで放課後の勉強会は続いたものの、訊きたかったことを訊けることはなく、千鶴が自分の想いを自覚しただけだった。
 ただ、最終日に「2年は来週から修学旅行だったな」と問われて頷き、何か欲しい土産はあるかと尋ねるのが精一杯だった。もっとも、斎藤は「気にせずとも良い」とリクエストをくれることはなかったのだが。



 そして、北海道を満喫して戻ってきた千鶴は、斎藤のクラスへ足を向けていた。
 結局、彼の好みそうな土産がわからず、消費できる食べ物を買ってきた。
「あの…斎藤先輩と沖田先輩、いらっしゃいますか?」
 クラスの後ろ側の扉から声をかけると、斎藤と共にいた沖田が振り返った。
「あ、千鶴ちゃん!」
 ぺこりと頭を下げると、沖田と斎藤が席を立って扉のところまでやって来る。
「あの…これ、修学旅行のお土産なんです」
「あー、北海道だっけ?楽しめた?」
「はい。函館と小樽や札幌にもいきました。五稜郭も見て、そのとき買ったものなんですけど…」
 ふたりに一つずつ、袋を差し出す。
「違うお菓子なので、剣道部のみなさんで分けて召し上がってもらえればと思って」
「気を遣わせてすまない。ありがたくいただこう」
「ありがと、千鶴ちゃん」
 ふたりがそれぞれに袋を受け取ったところで、思い出したように沖田が口を開く。
「…あ、そういえば、今日ってハロウィンだって知ってた?千鶴ちゃん、トリック・オア・トリート!!」
「え!?」
「ほらほら、お菓子をくれなきゃいたずらしちゃうよ?」
 にこやかな笑みを浮かべて千鶴に迫る沖田に、斎藤はその腕を引いて掌を出させた。そして、ポケットから取り出したオレンジのキャンディをひとつ、その掌に載せる。
「これをやるから雪村を困らせるな」
「一くんってこういうイベントに興味なさそうなのに、きっちりキャンディなんて用意してたんだ…」
「それはあんたが毎年、懲りもせずに菓子をねだるからだろう」
「ふーん…」
「大体、雪村にはこうして土産をもらっているのだ。これ以上菓子をねだるな」
「僕はお菓子が欲しいんじゃなくて、千鶴ちゃんにいたずらして遊びたいだけなんだけどね」
「尚更たちが悪い」
「…ま、今日のところは一くんのキャンディに免じて引いといてあげるよ」
 パリ、とパッケージを破って丸いオレンジ色の飴を口に含む沖田を確認し、斎藤は千鶴の手にもころん、とキャンディを置いてやった。
「土産の礼だ」
「…っ、ありがとうございます!!」
 掌に置かれた飴をじっと見ていたかと思うと、ぎゅっと握りしめて嬉しそうに笑い、くるりと背を向けて走り去っていく。

 千鶴の背が見えなくなってから、沖田と斎藤はそれぞれの袋の中を見た。すると、
「あ、一くん。こっちは君のみたいだよ?」
「…なにゆえそう思う」
「ほら、君宛のメモが入ってる。なになに?――テスト勉強に誘ってくださってありが「返せ!総司!!」
 沖田が途中まで読み上げた内容に、斎藤は咄嗟にメモをひったくった。
「一くん、千鶴ちゃんとテスト勉強なんてしてたんだ。へー?ふーん?学校で勉強した方がはかどるって、そういう意味だったんだ?」
「……」
「ま、いいけどね?とりあえず、袋交換しようよ。こっちは君用みたいだし。そっちは何が入ってたの?」
 互いに袋から取り出した菓子は、沖田が「誠参上」、斎藤が「土方歳三まんじゅう」だった。
「「……」」
 「僕のにもメモ入ってるのかな?」とメモを探し出す沖田を横目に、斎藤は彼からひったくったメモの続きに目を通す。
 曰く。
『テスト勉強に誘ってくださってありがとうございました。斎藤先輩は土方先生を尊敬されてると聞いて、偶然、土方先生と同じお名前の方のおまんじゅうを見つけたので買ってみました。歴史上の人物と同じお名前だなんて、すごいですよね』
   斎藤の横では、メモを見つけられなかった沖田が、苦い表情で「土方歳三まんじゅう」を見ていた。



ス ク ー ル デ イ ズ



(2010.10.06//カカリア
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