「どうして高3には遠足がないのさ!受験生っていっても、息抜きは必要だと思わない?一くん!」 「あんたは息抜きのしすぎだろう」 「これだから優等生な生徒会長さまは困るよね!あーもー、何か面白いこと落ちてないかなぁ…。11月って何もイベントがなくてつまんない。………あれ?イベントといえば…」 にんまりと愉快そうに口端を上げた沖田に、斎藤は嫌な予感を覚えて視線を逸らした。 11月。木枯らしが吹き、季節は冬に向かっていた。年の瀬が見えて来るなか、3年生の空気は徐々に張りつめ、図書室や自習室に行けば受験が近づいてきたことを肌で感じる時期だ。 千鶴は、教室の窓から外を眺めていた。冷たい風が中庭に植えられた木々を揺らしている。制服のスカート丈は短く、女子には辛い季節の到来だ。生徒の中には、スカートの下にジャージのズボンをはいているものもいたが、流石に見目の良いものではなく、千鶴は真似することもできずにいた。 時は昼休み。先ほどまでは千姫や平助と共に弁当を食べていたが、食べ終えた後、千姫は用事があるからと購買部へ行き、平助は古典の再テストを受けに職員室へ行ってしまった。千鶴は特に何をするでもなく中庭を見下ろす。葉が色づいてきているのを見て(秋なんだよね…寒いけど)と、とりとめなく考える。 11月は定期試験もなく、これといった学校行事もない。毎日同じような日々を続けていくと、また来月頭には期末試験がある。 先日の週末、千鶴は千姫と共に試衛館大学の大学祭を見にいってきた。8月に斎藤からアドバイスをもらってから集めだした大学の資料。一番最初に調べたのが、彼が進もうとしている試衛館大学だった。国立大学としても有名な試衛館大学は、街中にありながらも自然の豊かな美しいキャンパスで、大学祭も春と秋に二回ある珍しい学校だ。3日間ある中の2日目に行った秋の大学祭は、たくさんの人で賑わっていてとても楽しいものだった。 (来年は…斎藤先輩もあそこの屋台で何かを売ったりされるのかな…) 大学生になった斎藤は、どこか遠い存在になってしまうようで寂しい。ますます千鶴の手の届かないひとになってしまうような。 避けられないことであるのに、たった一年の差で自分も大学生になるのに、その隔たりは途方もなく大きいもののような気がしてしまって千鶴は息をついた。 (私も…大学生、なりたいなぁ) 思考の海に沈んでいたところへ、「千ー鶴ちゃん!」と己を呼ぶ声に意識が浮上する。 焦点を定めぬまま、窓の外を滑っていた視線を声がした方へと向ければ、沖田がにこにこと手を振っていた。がたん、と立ち上がって廊下の方へ出ていくと、途端に冷たい空気が剥き出しの脚に触れる。 「千鶴ちゃん、寒そうだね」 「はい…。この間からいきなり寒くなりましたよね。先輩は受験生ですし、風邪をひかれないよう、あったかくされてくださいね」 「うん、ありがとう。千鶴ちゃんもね」 「はい!……ところで、何か私にご用ですか?」 「それなんだけどね、僕たち、ここのところ受験勉強で机に座ってばっかりでしょ?同じ体勢ばっかりで疲れちゃって。だから、今度の土曜日、千鶴ちゃんたちに気分転換に付きあってほしいなーと思って」 「私たち…ですか?」 「うん。千鶴ちゃんと千姫ちゃんと平助くんと、あとは僕と一くん。土曜日の自主練の後にちょっと付き合ってほしいんだ」 「…?わかりました!私は暇なので…お千ちゃんにも予定きいてみますね!」 「よろしくね」 それだけ告げると、沖田は身を翻して自分の教室へ戻っていく。 「あれ?今来てたのって総司じゃねーの?」 「あ、平助くん!そうだよ。なんかね、今度の土曜日の自主練の後に先輩たちの受験勉強の気分転換をお手伝いすることになったみたい」 「そうなのか!?じゃあ、土曜日は千鶴にオレの華麗な剣技を見せてやるからなっ」 「まだ平助くんの剣道してるところって見たことなかったもんね。楽しみにしてるね!」 「おう!!」 そして、土曜日。 練習は朝からだが、長くなるので昼過ぎから来ればいいという沖田からのメールには「そしたら、お昼ご飯にお弁当を作っていっても良いですか?」と返事をし、了解を得ていた。千鶴は重箱一杯に詰めた料理の出来栄えに一人頷くと、玄関を出た。「道場は寒いから温かくしておいで」という沖田の言にしたがってタートルネックの上にセーターを重ね、コートも着ての重装備だ。 ずっしりと重い重箱を手に門を出ると千姫が立っていた。 「千鶴ちゃん!おはよう!」 「お千ちゃん…?どうしてここに…」 「ふっふーん。千鶴ちゃんのことだから、重たいお弁当を一人で運ぶんだろうなって思って、助っ人に参上したってわけ!」 重箱の入った手提げの片方を千鶴の手から奪うと、千姫は「さ!行きましょ!」と意気揚々と歩き出した。 千鶴と千姫が道場に着いたところで午前の練習は終わり、賑やかに弁当を囲んだ。時折千鶴たちと弁当を食べる平助以外は、千鶴の手作り料理は初めて。色鮮やかな重箱の中身は剣道部顧問かつ、千鶴たちの担任である土方も目を瞠る出来栄えで、飛ぶようになくなった。 千鶴が魔法瓶の水筒に入れて持ってきた緑茶を紙コップに入れて配ると、みなが口々に礼を言い、その料理の腕前を褒めてくれる。恐縮しながら賛辞を受けていると、沖田が「千鶴ちゃんはいいお嫁さんになれるね♪」などと軽口を叩くものだから、千鶴は頬を染めて「そんなことないですよ…」と俯いてしまった。 「総司、千鶴をからかうのもそれくらいにしとけって!ほら、そろそろオレの剣の腕前を千鶴に披露する時間だし?」 「は?平助くんは何を調子に乗ってるのかな?まだ一度も僕に勝ったことないでしょ?」 「でも総司たちは引退してから週に一度しか練習してねぇだろ?オレはまだまだ毎日頑張ってるからな!ずっと負けたままじゃねぇし!!」 「ふぅん…?それほどいうなら、来年のインターハイ優勝候補のお手並み拝見しようかなぁ?」 紙コップを置いた沖田がすっと滑らかに立ち上がり、竹刀を手に取った。対する平助も竹刀を持って道場の中心へ移動する。息をすることさえ憚られるような、張りつめた空気が満ちる。両者が正眼の構えを取り、間に立つ斎藤が鋭く声を上げた。 「はじめっ!!」 最初に上段から竹刀を振り下ろした平助を沖田が跳ね返し、代わって鋭い突きを仕掛ける。身体をひねり、突きを避けた平助だったが、そのまま沖田の竹刀が真横に振りぬかれ、強烈な一撃が胴に入った。 「技あり、だね」 竹刀を引き、元の姿勢に戻った沖田が面を外してニコリと笑う先で、身体を折った平助が悔しげに拳を握りしめた。 「くっそ!」 観衆の元へ引き上げる沖田と入れ替わりに駆け寄った千鶴は「平助くん、大丈夫?」と脇腹を抑える平助の手に自分のそれを重ねる。 「あー、こんなのどうってことないから!…それより、千鶴にカッコいいとこ見せるつもりだったんだけどなー」 はは、と頭を掻いて笑う平助に千鶴はぶんぶんと頭を振った。 「平助くんはちゃんとカッコよかったよ!!何がどうなったのかよくわかんないくらい速い技を避けるのってすごいと思う」 「…うん。ありがと、千鶴」 沖田と平助の一本試合の後は、通常の稽古が再開された。千鶴は後輩の打ち込み稽古の相手をしている斎藤を見つめる。相手の隙をついて返し技を仕掛ける斎藤の技は素人目にも見事だ。以前、千鶴が早朝の道場で偶然見かけた、一人稽古に励むときと同様、剣の描く軌道が後を引くような素早さと滑らかさで相手を穿つ。 (きれい) まっすぐ、ピンと背筋を伸ばして先を見据える常の彼と同じ、真っ直ぐなひたむきさは剣にも表れている。目を細めて千鶴はその剣さばきを追った。 稽古を終える頃には、動いていない千鶴と千姫が流石に寒いね、と手を擦りあわせていると、斎藤が温かい紅茶の缶を2つ手に持って道場を出てきた。胴着を脱いだ彼は、いつものように制服をきっちりと着ている。 「冷えただろう。これを飲んで温まれ」 差し出された缶を各々礼を述べて受け取り、飲み終えた頃、ようやく沖田と平助が道場から出てきた。他の部員たちはもう帰った後だ。 「冷えたままじゃ良くないから、千鶴ちゃんと千姫ちゃんも参加で鬼ごっこしよう!」 「え…?」 「鬼ごっこって…あの鬼ごっこ?」 「そうそう!寒いときこそ走って温まるのが一番でしょ?それに僕たち受験生の気分転換にもなって一石二鳥♪」 「総司…気分転換なら稽古をしただろう」 「稽古じゃいつもと変わらないじゃない?少年よ、童心に帰れーってね」 「いやそれ、違うだろ!」 「まあまあ、いいじゃない!たまにはこういうのも。…ね、千鶴ちゃんと千姫ちゃんは付き合ってくれるよね?」 あどけなくさえある笑顔で問われれば、千鶴たちは頷く他ない。 「じゃあ、決まり!場所は中庭、鬼はひとり。制限時間は10分。鬼は…一くんで!」 「なにゆえ俺なのだ。あんたがやりたいなら鬼はあんたがすれば良いのでは…」 「んー、僕は追いかけるより追いかけられたいから?ま、いいから、一くんは1分たったら追いかけてね」 言い残すと、さっそく沖田は中庭の方へ駆けていく。平助が後を追い、千鶴と千姫が迷っていると、嘆息した斎藤が「あんたたちも行け」と声をかけ、腕時計に目をやった。丁度1分待ったところでゆっくりと中庭へ移動する。花壇や植木、ベンチの置かれた中庭はそれなりの広さで死角も多い。今は花のない紫陽花の下、千鶴と子猫に出会ったことを思い出したのも束の間、思い出の植木の横で小さくなって身を潜めているらしい姿が目に入った。 (隠れられていないのだが…な) 斎藤が苦笑し近寄っていくと、見つかったと判断したらしい千鶴はがばりと立ち上がって走り出した。まろぶように走る姿を追いかけていき、千鶴の行く手が校舎に阻まれた。行き止まりだ。 「雪村、」 肩で荒い息をつく千鶴の肩に手を伸ばし、そっと触れる。顔だけで振り向いた千鶴は頬を上気させ、眉を下げた。 「捕まっちゃいました…」 夕日も相まって、紅葉する千鶴の面は艶めいて斎藤の視界を灼く。 「っ、…俺は他の者たちを追う。あんたはここで休んでいろ」 「はい…」 逸らされた視線を気にする様子もなく千鶴が応じるのを聞くと、斎藤はくるりと身体を翻した。コの字型の校舎から中庭に開ける空は紅。淡く色づく葉が空に伸びている。燃えるように鮮やかな夕焼けの下、全力で駆けた。残り5分、あと3人。 結局、制限時間内に斎藤が捕まえられたのは千鶴と千姫、平助の3人で、ひらりひらりと斎藤の腕をかわした沖田は最後まで逃げ切った。 滅多なことでは息を乱さない斎藤が呼吸を荒くする横で飄々と笑いながら、沖田は鞄の中から箱を出した。 「それは…?」 「千鶴ちゃん。今日は何月何日かわかるかな?」 「えっと…11月、11日…です」 「正解!11月11日はポッキーの日!というわけで、鬼さんと一番最初に捕まった人で罰ゲームしてもらいます!もちろんポッキーの日なんだから、ポッキーゲームで♪」 袋を破ってポッキーを一本取りだした沖田は目を三日月形にして笑う。楽しくて仕方がないと言いたげに。 「一番最初に捕まったのは誰かな?」 「…オレじゃねぇよ?」 「私でもないわ」 平助と千姫、沖田の視線が千鶴に集まる。 「ポッキーゲームって…ほんとにするんですか…?」 「うん、僕はもちろん本気だよ。――はい、一くん。ポッキーね」 挙動を止めていた斎藤だったが、差し出されるポッキーにようやく動きを取り戻す。 「総司、悪ふざけもいい加減にしろ…」 「えー?僕はいつだって本気だって今言ったでしょ?僕を捕まえられなかった一くんが悪い。負け鬼は大人しく罰ゲームする!」 「そのようなルールは聞いていな――」 口を開いた斎藤の口腔にポッキーを突っ込む。 「はい、千鶴ちゃんも咥える!」 なかば無理やり一本のポッキーを挟んで対峙させられた二人は、あまりの至近距離に視線を泳がせた。このままでは終わらない。でも、口を離してしまうことも、ポッキーを食べ進めることもできない。 動きのないまま固まる二人に、つつ、と千姫が近寄った。千鶴の耳元に口を寄せる。 「…千鶴ちゃん、チャンスじゃない!オーロラ姫みたいにキスしちゃえばいいのよ!」 耳元で囁かれた千姫のあまりにもな言葉に、千鶴は勢いよく千姫のほうへ向きなおった。その拍子に細いポッキーがポキン、となんとも頼りない音を立てて折れる。 「「「あ…」」」 観衆3人の声が揃い、代わりに千鶴と斎藤は慌てて互いに距離をとって離れた。 跳ねる鼓動を鎮めるように、斎藤は途中で折れたポッキーの残りをポリポリと噛む。 紅葉の色。夕日の色。紅の頬。至近距離で見た千鶴の瞳は緊張ゆえか潤んでいた。 網膜に灼きつく像を瞼の裏に反芻し、細く長く息を吐く。 舞い散る紅葉に手を伸ばすように、その紅に触れることはかなわないのだ。 (2010.11.14) |