――千鶴ちゃん、いいこと教えてあげようか。
――いいことって何ですか?
――明日は一君の誕生日だよ。
 大晦日。沖田からのメールで初めて知った事実に、千鶴はそんな基本的なことに気づかなかった自分に大いに衝撃を受けたのだった。




1月 光満つ尊き日に





 人々の煩悩を浄化する除夜の鐘が夜のしじまを厳かに割って響いている。あと少しで年が明け、初詣客がたくさんやってくるはずだ。
 千鶴は以前から憧れていた巫女の衣装を身にまとい、神社の一角、授与所にいた。

 千姫の親戚が宮司をしているここは、菅原道真ゆかりの大きな神社である。毎年多くの受験生やその家族が、高名な学問の神様の恩恵を授かろうと詣でるそうだ。千鶴自身は昨年の五月にこの地域へ引っ越してきたばかりだが、それでもこの有名な神社の名は知っていた。巫女に憧れていることを千姫に話したところから、トントン拍子でこのアルバイトの話が決まったのだった。
(それにしても、斎藤先輩のお誕生日が今日だったなんて……)
 クリスマスパーティー以降、一度も斎藤には会っていない。いよいよセンター試験まで一ヶ月を切り、三年生の教室はもちろん、ほぼ彼らで占められている図書室や自習室もピリピリとした空気が満ちており、受験学年ではない千鶴は補講が終わるまでは家と自分の教室、それから道場と部室を行き来するだけ。補講が終わってからは部活もなくなり、学校には行かず家で宿題をしたり、年明けに向けて大掃除をしたりして過ごしていた。何もなければ、年が明けて学校が始まるまで会うこともないと思っていた。でも。
(今年が先輩をお祝いできる最初で最後のチャンスになるかもしれない)
 三月になれば、斎藤や沖田ら三年生は白鴎高校を卒業し、それぞれに新たな道を歩み出す。大学生と高校生の間に横たわる壁はたとえ一年でも大きい。来年、斎藤の誕生日を祝える可能性はきわめて低い気がしていた。ならば、今年を逃すわけにはいかない。
 バイトが終わったら勇気を出して斎藤の家へ行こうと決めて、渡すものも準備してきていた。巾着に入れて持ってきたそれらを確認するように、膨らむ巾着をひと撫でした。

 壁にかけられた古めかしい時計から新しい年の到来を知らせる鐘が鳴る。本殿への参拝をすませたらしい参拝客が、三々五々、授与所の前へやってきて、並べられた様々なお守りや干支の置物、おみくじなどを選んでいる。やがて、千鶴は順々に差し出される品を神社の名の入った袋に入れて客に渡すという作業をひっきりなしに続けた。
 空がしらみ、初日の出がこんもりとした鎮守の森の木々の端を照らし出す頃、よく知った声が「これ頂戴」と合格守りを差し出してきた。
 弾かれたように相手を振り仰げば、そこには沖田、平助、千姫、そして斎藤の姿があった。
「すっげ! 千鶴、本物の巫女さんみてぇじゃん!!」
「みなさん、どうしてここに!?」
「どうしてって、そりゃあ、僕と一君はもうすぐ受験本番で、ここはこの辺の受験生がみんなお参りするような有名な神社だから僕たちも例に漏れず合格祈願に来たってわけ」
「あ……、そう、ですよね。みんな揃って来られたからびっくりしちゃいました」
「まあ、千姫ちゃんから君が巫女さんをしてるって聞いたからっていうのもあるけどね」
「千鶴ちゃんの巫女さん姿なんて、すごくきれいに決まってるもの! これは見に行くっきゃない!って思ってね。――ところで、千鶴ちゃんはもう朝ごはんは食べたの? 深夜から働きっぱなしでしょ?」
「まだだよ。もうちょっとしたら休憩に入ると思うんだけど……」
 と、そこへ「千姫ちゃん、来たのかい」と落ち着いた男性の声が届いた。
 振り返れば、袴姿の宮司がやってくるところで、千姫が「おじさん、あけましておめでとうございます」と応じる。
「ああ、あけましておめでとう。みんなで来てくれたんだね」
「はい。それで、千鶴ちゃん、今から休憩に入ってもいいですか? みんなで一緒に暖かいものでも食べようかと思って」
「かまわないよ。もう少し日が昇るまで、しばらくは客足も落ち着く頃合だからね。雪村君、いっておいで」
 周りを見回し、実際に参拝客の数が減っているのを確認したところで、千鶴は手元に置いていた巾着を懐に忍ばせて授与所を出た。

 参道に並ぶ屋台で暖かいものを買おうと先頭を切って歩き出した沖田たちを小走りに追おうとしたところで、最後まで待っていた斎藤が正面に立った。
「斎藤先輩、あけましておめでとうございます」
「あけましておめでとう。――巫女の衣装とは、随分寒そうだな」
 吹き抜ける冷たい風に肩を竦めれば、それを見逃さず斎藤は自分の首に巻いていたマフラーを外し、寒風にさらされた千鶴の首に巻きつけた。
「風邪をひいては困るだろう」
「先輩は受験生で大事な体ですから! 私は大丈夫です」
「俺はコートがあるから十分だ」
「でも……!」
 なおも言い募ろうとする千鶴に、斎藤は踵を返して歩き始めてしまう。そこで、千鶴ははたと思い出して己の懐を探った。巾着の中からホッカイロと手縫いのカバーを取り出し、パッケージを開けたカイロをカバーの中に包んだ。
「先輩!」
 振り返る斎藤に小走りで駆け寄る。慣れない草鞋が砂利に足を取られ、躓きかけたところを支えられた。
「す、すいません! あの、これ……つまらないものなんですが、お誕生日おめでとうございますっ! マフラーの代わりに、これを使ってください」
 昨日、沖田からのメールを見てプレゼントをどうするか迷った。そして、自分が高校受験のときに手がかじかまないよう母親が持たせてくれたホッカイロのことを思い出して、それを入れられるカバーを縫ったのだ。落ち着いた紺色に雪輪文様が刺繍されたそれは、イブの夜に見た、雪の中凛と佇む斎藤の姿が忘れられなかったから。
「なにゆえあんたがそれを知っている」
「え……と、沖田先輩が教えてくださって……」
 教えてもいない誕生日を知られているなんて気持ち悪かっただろうか。勢いだけでやってしまったことを後悔しかけたとき。
「――心遣いに感謝する」
 カバー付きホッカイロを差し出した指先に斎藤の手がそっと触れ、手のひらの上のぬくもりをさらっていく。
「しかし、こんなに手を冷やして、他人の心配をしている場合ではあるまい」
 離れたはずの手が、再び触れた。
 千鶴の手を取り、そのままカイロごとコートのポケットへ導かれる。
 驚きのあまり、千鶴は声を発することも忘れて引かれるままに歩き出した。カイロを間に挟んで互いの手のひらは繋がれたまま。じんわりと暖かいはずのそれが、燃えるように熱く感じる。それでも、抵抗すればあっさりと離れていきそうなやわらかな拘束を手放したくなくて、千鶴はわずかに手のひらに力を込めた。
 やや前を歩く斎藤を直視できずに俯くと、目元から下がマフラーに埋まる。そこからするのは、先程抱きとめられたときに鼻腔を満たしたものと同じ香り。
(抱きしめられてる、みたい)


 参道の屋台前に至ると同時に自然と離れていった手の温もりを惜しむ間もなく、千姫に湯気の立つおでんが入った容器を手渡された。
「あれ、そういえばさっきお守り買いそびれちゃったな」
 沖田が漏らした言葉に、千鶴はおでんを千姫に預け、もう一度懐から巾着を取り出した。
「あの、沖田先輩、斎藤先輩」
 ふたりが振り向く。
「これ、私からの応援の気持ちです。おふたりとも、受験頑張ってくださいね」
 前もって買っておいた合格守りを渡した。
 彼らが無事に合格してもしなくても、こうして皆で過ごせる時間は残り僅か。
 瞬き一つの時間さえも失いたくない。大切にしたい。
「まあ、ダメだったときは千鶴ちゃんの同級生になればいいかな」
「馬鹿なことを言うな。無理に決まっているだろう」
「あれ、一君。もしかして羨ましいのかな? 千鶴ちゃんとクラスメイトになったら、一緒に泊まりで北海道へ修学旅行に行けたりするわけだしねぇ?」
「総司はもう修学旅行行っただろ!」
「平助君、それとこれとは別。三年生をもう一回やるんだから、修学旅行のない三年なんて三年じゃない!」
「留年生は旅行はなしよ。積立金もないのに行けるわけないでしょ!」
「えぇー!?」
 千姫の冷静な指摘に、沖田はがっくりと肩を落とした。堪えきれず笑い出した千鶴に斎藤は「ありがとう、最善を尽くす」とほのかに笑みを浮かべて決意を述べる。
「僕もやればできる子だからさ、まあ見てて」
 真面目な顔を作った総司が不敵に笑う。
「そういうことは自分で言うなっての!」
「平助君うるさい。事実を言ったまでですー」
「平助は自分のことは考えているのか? 次はあんたが受験生だが」
「一君、今それを言うのはなしだろー!?」
「斎藤さんの言ってることはもっともだと思うわよ。私たちも三週間後にはセンター同日受験が待ってるわけだし」
「げ……!! そんなのあったっけ!?」
 見慣れた平和な日常。叶うなら変わらずいつまでも続いて欲しい。そんな風に願ってしまうこのあたたかく尊き情景を目に、耳に灼きつけて。

  (みんなが幸せでありますように!!)
 新たな年の始まり、光満ちる空に祈った。



ス ク ー ル デ イ ズ



(2013.02.19)
前話の更新からなんと2年以上。大っ変お待たせいたしました(土下座)斎藤さんの新暦誕生日に間に合わせようと頑張ってみたもののギリギリで敗北……。
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