少しずつ、あなたを知ってゆく。 夏休み。 耳をつんざくように鳴き続ける蝉の声は、体力と気力を奪っていく。暑さにぐったりした千鶴はなかなか進まない宿題に取り組む手を止めて伸びをした。 「…ちょっと休憩しよう」 誰もいない部屋で呟くと、階段を降りて台所に行き、冷蔵庫からカルピスを出すと、氷をたっぷり入れたグラスに注いで水を加えた。 ストローでかき混ぜればカラカラと涼しげな音がして、少しだけ暑さが紛れる気がする。作り置きのクッキーをかじりながらカルピスを飲み、のんびりと首を振っている扇風機を見た。 クーラーが苦手で、扇風機を味方に夏を闘ってきたが、そろそろ限界かもしれない。 旅行から帰ってきて以来、特に予定もなく毎日が過ぎていた。学校に行けば毎日顔を合わせるクラスメイトでも、夏休みともなると予定をあわせて会おうとしなければ顔を合わすこともない。千姫とは買い物に出かけることもあったが、お互いにこの暑さで回数を重ねる気持ちが萎えていた。 なんとなしにテレビをつけてみると、人でにぎわうプールの様子が映った。小さな子どもたちが両親とはぐれてしまい迷子センターに保護され、無事に両親のもとへ戻っていくまでのドキュメンタリーらしかった。 『もー、お前は何歳なんだ?』 『6歳!』 『違うだろ、まだ3歳だ!』 自分の年齢を間違って言い張ったために迷子放送でもなかなか親を見つけられなかった子どもがやっとのことで父親と再会してプールの方へ戻っていく。 (かわいいなぁ…) 微笑ましい光景に思わず破顔してみていると、携帯の着信音が鳴った。 開けてみるとメールを一件受信したとの表示。 From 藤堂平助 Sub 久しぶり! 千鶴、宿題進んでる? 旅行以来連絡を取っていなかった平助からだった。 To 藤堂平助 Sub この前はありがとう! 暑くてあんまり進んでないよ(>_<) 平助くんは? 手早く返信すると、平助は沖田と共に斎藤の寮で宿題大会をしているから千鶴と千姫も一緒にどうかという誘いが返ってきた。 魅力的な誘いだった。しかし、千鶴ははたと思い至る。 (斎藤先輩と沖田先輩って、今年受験生じゃ…) 一緒に旅行に行ったりしていてすっかり失念していたが、彼らは今まさに高校3年の夏、いわゆる受験の天王山を迎えているはずだった。それなのに、自分たちが行っては勉強の妨げになるのではないだろうか。一瞬にして思い当たった事実に返信の手が止まる。 (どうしよう…) 迷っていると、再び着信音が鳴った。 From 鈴鹿千姫 Sub (non title) 千鶴ちゃんは宿題大会行く? To 鈴鹿千姫 Sub Re: 行きたいけど、先輩たちの受験勉強の邪魔になるんじゃないかと思うとやめといたほうがいいのかなって迷ってるところなんだ…。お千ちゃんはどうするの? From 鈴鹿千姫 Sub Re2: 確かにお邪魔になるかもねー。でも、既に藤堂くんが行ってるなら私たちが増えたところで変わらないんじゃないかしら。 返ってきたメールを読み、千鶴は考え込む。 (…確かに、平助くんが行ってるってことはいいの、かなぁ?) しばしの逡巡ののち、千鶴は平助と千姫の両名に参加する旨をメールし、手早く荷物をまとめた。作り置きのクッキーを保存用の缶ごと鞄に詰め、家を出る。途端に照りつける太陽光に一瞬目を細めてから、学校へ向かって歩き出した。平助のメールによると、斎藤の寮は学校のすぐそばとのこと。近くに行けばわかるだろう。 丁度寮の近くで会った千姫と共に斎藤の部屋のインターホンを押すと、程なくして斎藤が出た。 「こんにちは、お邪魔します」「お邪魔します」 挨拶するふたりに頷き、中へ促される。 さりげなく周囲を見ると、狭いながらも落ち着いた雰囲気の調度とこぎれいに片付いた部屋が広がっていて斎藤らしいなと思う。リビングに置かれた大きなテーブルにはノートや参考書が広げられており、平助と沖田が手を振ってきた。 「よ!ふたりとも元気?」 「久しぶりだね、ふたりとも」 「はい、この前の旅行はすごく楽しかったです!ありがとうございました!」 「うん、僕たちも楽しかったよ。ありがとね」 示された場所に腰を下ろし、程よくきいた空調にホッとしながら汗をぬぐう。 「外は暑かっただろう。これを飲むといい」 台所から冷えた麦茶の入ったグラスを2つ持って斎藤がやってきた。 「ありがとうございます。……あの、先輩たちは受験勉強があるのに、お邪魔じゃなかったでしょうか…」 眉尻を下げて申し訳なさそうに問う千鶴に、斎藤はほのかに笑って否定する。 「いや、大丈夫だ。平助が放っておくと全く宿題をしないのでな。ただ一緒に勉強するだけで、特別かまってやることはできないのだが…」 「あ、はい。勿論です!それなら…お言葉に甘えてご一緒させてもらいますね」 鞄からクッキーの入った缶を出すと、「これ、クッキーなんですけど、皆さんで食べれないかなと思って持ってきたんです」と斎藤に差し出す。 「これはあんたが作ったのか…?」 「はい。いつも作り置きしてあるんです。…お口に合うかはわかりませんが」 缶のふたを開けて一つつまんだ斎藤は「美味い。皆でいただこう」とテーブルの真ん中に置いた。すぐに千姫や平助、沖田が手を伸ばしてきて口に含むと、「おいしいー!」「うまっ」「おいしいね」と口々に褒められ、照れくささに視線を落とした。 それからしばらくは、飲み食いしながら黙々とそれぞれの勉強を進めた。自分以外の誰かがペンを走らせる音は程よい緊張感を与えてくれる。複雑な二次関数の問題を解き終えたところでふと視線を上げると、棚の上に輝くトロフィーを見つけた。 斎藤は剣道部だと先月知った。剣道大会のものだろうか。じっと見ていると、隣にいた平助が千鶴の視線に気づいて説明を加えた。 「あー、あれ?インターハイの個人戦優勝のトロフィーだよ。な、一くん?」 「ああ」 「え…!斎藤先輩、インターハイで優勝されたんですか!?」 「…そうだな」 「すごい…!!」 インターハイで優勝ということは、剣道をしている高校生で一番強いということだ。千鶴がきらきらと尊敬のまなざしを向けると、彼はそっぽを向いてしまう。 「千鶴、ちなみに団体戦でもうちの高校が優勝したんだぜ?」 「そうなの!?じゃあ、平助くんも戦った?」 「ああ!オレと総司と一くんとあと2人がうちの団体戦のチーム」 「そうだったんだ…。応援に行きたかったなぁ」 「んじゃ、来年は来てくれよ!今度はオレが個人戦での優勝も見せてやるし!」 「こーら、平助くんは調子に乗らないの。僕たちがいなくなるからって平助くんが全国に行けるとは限らないでしょ?」 「行けるよ!一くんも総司も行ったんだからオレだって!」 「沖田さんも全国に行かれたんですか?」 「うん、まあね。去年の全国優勝は僕だったから。今年は地区予選で一くんにぎりっぎりのところで一本取られちゃって…」 「へー、白鴎がそんなに強豪校だとは知らなかったわ」 「うん、私も。すごいなぁ」 そこで平助がジュースをグラスに注ごうとして空っぽになっていることに気づいた。 「げ!もうジュースねぇじゃん」 「お茶…もあんまり残ってないね。私、ちょっと買い出しに行ってくるよ!」 「え、千鶴が?じゃあオレも「平助は宿題をしていろ。雪村の手伝いは俺が行く」 「斎藤先輩が!?先輩は受験勉強を進めていてください!私はひとりでも大丈夫ですから!」 「いや、飲み物となると重くなるゆえ男手はあった方がいい。雪村は気にしなくてもいい」 「でも…!!」 「んー、じゃあお言葉に甘えて、千鶴ちゃんと斎藤さんにお願いしようかしら」 「うん、僕も賛成ー」 「え、ちょ…!」 平助の異論は無視され、斎藤は貴重品を手に出て行き、千鶴は慌ててその背を追った。 「この前の旅行でも思ったけど、一くんが自分から女の子に構うなんて面白いなー」 にやりと口角を上げる沖田の前で千姫も笑う。 「ふふ、千鶴ちゃんったら可愛いんだから!」 一方。飲み物と菓子類を買い込んだ斎藤と千鶴はコンビニから寮に向かって歩いていた。 太陽は緩やかにその高度を下げていたが、まだまだ暑い。コンクリートに照り返された熱気がむわりと上がってくる。 高くまっすぐに伸びたひまわりの陰で足を止める千鶴に、斎藤は袋からペットボトルを出して差し出す。 「大丈夫か。…少し、ここで休憩しよう」 言うと、ひまわりの植えられた花壇の縁に腰掛ける。 「すいません…」 千鶴が腰かけてペットボトルのお茶を飲むと、斎藤も同様にペットボトルを出してぐいと一口あおった。 日陰に入ると、少しある風が汗をくすぐってほのかな涼しさを感じる。 「――先輩は、大学…どうされるんですか?」 「俺は、試衛館大学の医学部を受けるつもりだ」 「すごい!お医者様になられるんですか?」 「医学部といっても、俺が志望しているのは放射線技術を専門とする学科だ」 「そうなんですか。…あの、先輩がそこを受けようと決められたきっかけってありますか?」 「…進路のことで迷っているのか」 「はい…。文理選択では理系に進んだんですけど、どの学部に行きたいかとかって全然わからなくて…。進路調査表も適当に書いて出してしまったんです」 「…俺の場合、小さいころから道場に通っていてよく医者の世話になっていた。その中で医学方面の技術に興味を持ったゆえ、進路もその方面にしようと決めた」 「やっぱり自分の経験とかと結びつけて考えたほうがいいんですよね」 「なかなか難しいものだがな。自分の興味や経験と照らし合わせていろいろな大学の資料やホームページを見てみるといいのではないだろうか。目標が定まれば、おのずとやるべきことも見えてくるものだ」 「そうですね…いろいろ見てみます!お話聞かせてくださってありがとうございました!先輩も受験頑勉強張ってくださいね!」 「ああ」 「あと、いつか…先輩が剣道をされるところを見てみたいです」 「3年はインターハイを終えた時点で引退したが、俺も総司も毎週土曜の自主練には顔を出している。あんたの都合がつくときに道場へ来ればいい」 「本当ですか!?ありがとうございます!楽しみにしてますね」 会話に一区切りついたところで、ふたりは立ち上がった。まっすぐに続く花陰の道を進む。蝉時雨の降る夏の道行き。 (2010.09.19//カカリア) |