エ ス ポ ワ ー ル










 初冬の空は澄み、冷たい風が頬を撫でてゆく。
 既に日も暮れて月の明るい夜、遠くの空はいまだ赤く焼けていた。
 空を飛んで行く機影。遠い地鳴り。
 ロイドが毎日忙しそうにしていたのはこのためだったのだろうか、とぼんやり彼方を見やる。そのおかげで警備の手薄になった軍から脱走することができた。世界に広がる不穏な様相は、戦争の影なのだろう、と考えるけれど、それはすぐに頭から消えた。
 そのうち、脱走に気づいた軍からの追手があるかもしれない、とも考えたけれど、スザクにとっての問題はもっと別のところで。ただ、“彼”から離れたかった。逃げたのだ、“彼”から。そうすることで、忘れたかった。“ルルーシュ”を裏切ろうとした自分を。


『はじめ、まして。俺はルル。……スザク、さん』
 よく知った声で「スザクさん」と呼ばれたことに、確かに絶望を覚えたというのに。
『今夜の月はきみの瞳の色みたい、だね』
 “ルルーシュ”の証である高貴なアメジストを持っていないと、冷たく突き放して傷つけたのに。
 それなのに、彼の眼差しに面影を見出したなんて、そんなことで掌を返すなんて、許されていいはずがない。ルルーシュがいなくなったからルルを、だなんて。それでは、まるで、ルルーシュのメモリを、機械を愛したようではないか。心があると言いながら、結局は機械に蓄えられたメモリがあればいいのか?――そんなわけ、ない。そんなことは認めたくない。
 思考が堂々巡りを始めても、スザクはなす術もなくひたすら歩き続けた。


*


 夜となく昼となく歩き続けたスザクは、戦争の影から遠ざかるように田園風景広がる田舎道を進んでいた。そこは、かつてスザクとルルーシュ、そしてロロとナナリーが都会を迂回して歩いた道を髣髴とさせる景色だった。
 歩き通しで疲れがたまっていたスザクは、道端の大木の根元に腰を下ろした。風は冷たかったが、疲労はそれ以上に溜まっていたようで、まもなく眠りの淵に引きずられていく。


*


「…見覚えのある光景だな……」
 木の根元で眠りに落ちている男。半年ほど前に出会った出来事を髣髴とする光景に、彼女は若葉色の髪を揺らして呟いた。
「――スザク、さん…!?」
 彼女の隣に立っていた少年が漏らした言葉に、彼女は目を見開いた。
「ロロ、お前、こいつを知っているのか?」
「…はい、僕とナナリーを研究所から出してくれて、しばらく一緒に過ごしていたので」
「そうだったのか…」
 C.C.は、以前ロロにしたように、男の前にしゃがみ込むとその茶色い猫毛の髪に触れた。
「久々だな…。こんなところにいたのか…スザク」
「あなたも彼を知っているんですか?」
「ああ。元々、スザクは私の元にいたからな」
「じゃあ、兄さん――ルルーシュのことは知ってますか?」
「知っているよ。スザクをユーフェミアのところへやったのは私で、そのユーフェミアのもとにいたのがルルーシュだ」
 ロロがルルーシュたちと共にいた時間はそれほど長くはない。そして、彼らの過去についても何も知らなかったのだと改めて思い知る。
「僕…は、兄さんを助けられなかった…」
「――そうか」
 立ち尽くし、肩を落としたロロが絞り出すように呟いたが、C.C.はただ静かに頷くだけ。安易な慰めは何も生まないと知っているからか。


 と、そのとき、微かに身じろいで、男――スザクが目を覚ました。
「ん……」
「目が覚めたようだな、スザク」
「…………っえ!?C.C.!?」
「久しいな。元気にしていたか?」
「どうして此処に…」
「旅をしていたら、偶然見覚えのあるやつが道端で寝こけていたものでな」
「…スザク、さん、無事だったんですね」
「ロロ!?君までどうして…」
「ロロは私が拾ったんだ。桜の木の下でな」
「拾ったって、そんな捨て犬みたいに言わないでください」
「では、どうしてお前はここにいるんだ?」
 C.C.の言に、ロロは言葉を詰まらせた。
 ――どうして?
 ――ルルーシュもスザクもナナリーも、みんないなくなって一人だったから。そこへ声をかけられたから。無理に踏み込んでくることのない距離感が不快じゃなかったから。
 あからさまにC.C.から視線を外して泳がせるロロに、それ以上に追及することはせずにスザクに向き直った。
「そういうお前はどうしてここにいるんだ?」
「僕…は、軍から、逃げ出してきて…」
「軍…ということはこの戦に駆り出されそうにでもなったか。アンドロイドは手当たり次第駆り出されているらしいからな」
「ッ、それ…って、本当に…!?」
「ああ。なんでも、今回の戦争は軍内部のアンドロイド肯定派と排斥派の抗争から始まったらしくてな。後手に回って戦力不足の排斥派が、残っている合法アンドロイドを掻き集めて戦線に出しているらしい」
「そん、な…!じゃあ、ルルーシュは…!!」
 スザクの脳裏に、軍に残してきたルルーシュ、否、ルルの姿がよぎった。
「ルルーシュって…兄さんは無事だったんですか!?」
 食ってかかるロロに、スザクは瞳を曇らせた。
「…彼の身体はロイドさんの手で修復された。けど…記憶は曖昧で、目の色も違って、“ルル”は“ルルーシュ”じゃない。無事といえば無事だし、無事じゃないといえばそれも正しい」
「でも、兄さんは生きてるんですね!?なら、どうしてスザクさんは兄さんと一緒じゃないんですか!?兄さんはどこに!?」
「……彼は軍に残してきた」
「それじゃあ…」
「戦争に駆り出されているかも、知れない…」
 どうして!!と、ロロはスザクの胸倉をつかむようにして糾弾する。スザクは答えられず、苦悶の表情で視線を背ける。
 そばでふたりのやり取りを黙って聞いていたC.C.は状況を大まかに理解してふたりの間に割って入った。
「…スザク、お前はルルーシュであってルルーシュではない今のあいつから逃げてきたのか」
「……」
 図星を差されたスザクはさらに顔を俯けた。
 そんなスザクに、C.C.は柔らかな苦笑を浮かべて問いかける。
「――そういえば、知っているか?お前たちアンドロイドの始まりを」
 スザクとロロの視線が自分に向くのを確認して、C.C.は穏やかに語りだした。


「スザク、今の王の名を知っているか?」
「いくら僕でもそれくらいは知ってるよ。…マリー・ヴィ・ブリタニア殿下でしょう」
「正解だ。では、こういう話はどうだ?
 ――昔、シャルル・ジ・ブリタニアが皇帝だった頃、大層寵愛を受けた后がいたんだ。后の名はマリアンヌ。ふたりは愛し合い、皇子をもうけた。たいそう聡明でうつくしい皇子だったとのことだ。しかし、皇子は不遇の事故で夭逝してしまった」
「そんな……」
「そう。ふたりは大変悲しんだそうだ。跡継ぎには養子をとってたてたが、悲しみは癒えない。そこで、嘆く后のために皇帝はとある実験を行った。――そうしてうまれたのが、初代アンドロイド、ルルーシュ」
「ル、ルーシュ…!?」
「そうだ。ふたりの亡くした皇子は名をルルーシュ・ヴィ・ブリタニアといった。亡くした息子の姿に似せて人工生命を作りだし、息子の代わりに慈しんだ」
 ――かなしいな、ひとは。
 どんなに姿形が似ていたって、同じ名をつけたって、死んだ息子が帰ってくるわけではないのに。
「それでもいえることは、おまえたちの命はある夫婦の愛に始まったということだ。決して人と対立し、悲しみをうみだすために始まったわけではない。
 ちなみに、夫婦はふたりめの“ルルーシュ”を本当の息子のように――ひとのように、大切にしたそうだ。大切にされた命は、やがて次の命に受け継がれ、脈々とお前たちまで続いてきた」
 まがいものの命だけれど、愛されて生まれてきた。
 ひとの性はかなしいけれど、大切にされた“ルルーシュ”は長い長い年月を形を変えて生きてきた。
 彼がスザクと出逢ったのは、そんな奇跡みたいに長い連鎖の果てにあったことなのだと。


「お前のいう“ルルーシュ”と“ルル”は本当に全く違う存在なのか?拘るべきところを誤って後悔するのはいかにも“人間”らしいが、お前の場合、まだ遅すぎるということはないだろう?」


 かつて“母”とも思っていた人の言葉は、同じところをクルクルと回り続けていた行き場のない思考に、荒野に降る慈雨のごときやさしさで浸透していった。




あれは希望だったのかな




『はじめ、まして。俺はルル。……スザク、さん』
 ――絶望だと思った彼の存在は、もしかしたら、


 希望、だったのだろうか。







(10.09.29)