エ ス ポ ワ ー ル










「あんまり街中を行くときついよね。人ごみがひどすぎると疲れるだろうから田舎の方を迂回しよう」
「…すまない、スザク」
「気にしないで!それよりもルルーシュ、無理はしないでね」
「……ああ。大丈夫だよ」


 最初は世界にあふれる人に、そして時々刻々と移り変わる自然に目を奪われた。あふれかえる様々な感情を受け止めるのは大変で、でもそれはきっと慣れの問題もあるのだと思っていた。しかし、ユーフェミアと別れて数か月、時間はずいぶん流れたけれど、ルルーシュの眠りは依然として引きずり落とされるようなもので、お世辞にも穏やかとは言い難い。それを一番感じているのはルルーシュ自身で、ずっとそばにいるスザクもまたそれを敏感に感じ取って思うところがあるようだった。以前ならば、進んで外の世界や人との接触を図ってきたのが、ここ最近ではめっきり人ごみを避けるようになった。気遣われて、いる。
 ルルーシュはちらりと横目で隣りに立つスザクを見た。
 数日前、スザクはひどく狼狽した様子でルルーシュに取りすがってきた。まわされた腕がかすかに震えていたように思う。それだけではない。ここ数日、目覚めると一番に目に入るのが、どこか不安げにルルーシュを見つめている翡翠色だった。どこか鬼気迫る様子でじっと見つめられるから、寝起きの覚束ない意識の中でもスザクの頬に手を伸ばしてそっと撫でることにしている。そうして名前を呼んでおはようといえば、彼はいつもの穏やかさを取り戻して笑ってくれるから。今も、視線に気づいたスザクはにこりと笑って首をかしげ、ルルーシュを見つめ返してくる。
「どうかした?」
「いや、何でもない」
「…そういえば、ロロとナナリー、遅いね」
「何かあったのか…?」
 少し先に立っているレンガ造りの小さな建物からは変わらず小麦の焼けるいい香りがしている。ふたりに食料の調達を任せたのは良かったが、何か問題に巻き込まれたのだろうか。
「ちょっと見てく「僕が行ってくるから!ルルーシュは待ってて!!」
 歩を進めかけたルルーシュを制し、スザクが軽い足取りで走り出した。止める暇もなく背中が遠ざかる。
 と、そこでロロとナナリーの姿を認めた。合流したスザクと何か言葉を交わしたかと思うと、ルルーシュの方を振り返って手招いている。
 ルルーシュが小走りで駆け寄ると、ナナリーが甘い香りのする袋をルルーシュに向けて開いて見せた。
「新作だから味見してっていわれて食べたらすごくおいしかったので、お兄さまたちの分まで買おうとしたら」
「おばさんが、連れがいるならおまけにあげるって言ってくれたんだ!」
「お兄さま、苺は好きですか?」
「ああ、好きだよ。ナナリーもロロもありがとう」
 ぽんぽん、とふたりの頭を撫でてから早速袋の中に手を伸ばす。苺とクリームがパイ生地の間に挟んである、ベーシックな菓子パンだ。1つをスザクに渡し、もう1つを口にした。程よいイチゴの酸味と、さっぱりとした甘味のクリームが濃厚に舌の上で溶けていく。
 じっくりと味わうようにかみしめるルルーシュの様子を窺うように見つめてくるふたりに、ルルーシュは破顔する。
「うまいな」
「でしょ?こんなにおいしいパンは初めて!ね、ナナリー?」
「はい!ほっぺたがおちそうです!」
 薄らと頬を上気させて興奮気味のふたりに、ルルーシュはまた町の方でもおいしいものを食べさせてやろうとひそかに決意したのだった。


「スザク」
「うん?」
「クリーム。ついてる」
 すっと伸ばした指で口元についたクリームを拭い、ぺろりと舐めとるルルーシュ。それを見たスザクはきまり悪げに視線を落とした。
「あ、ありがと…」
「どういたしまして。…このパン、スザクも気に入ったか?」
「うん」
「でも、おまえは甘いものよりはハンバーグとか、そういったものの方が好きだろう?」
「…!どうしてそれを?」
 もともと大きな翠を更に見開いて見つめてくるスザクにルルーシュは苦笑する。
「おまえなぁ…毎日一緒に食事をしてたんだ。見てれば好きなものくらいわかるだろ?基本的に何でもおいしそうに食べるけど、デミグラスソースのハンバーグの日は明らかにいつも以上だった」
「そ、そうだったかなぁ…?」
「そうだよ。おまえ、分かりやすいから面白い」
「素直っていってよ!」
「はいはい。素直なスザクがすきだよ」
「…っ!!ふ、不意打ち…!」
 普段のルルーシュらしからぬ言葉に顔が熱い。スザクが反則だとばかりに笑っているルルーシュの目を掌でふさいだ。そのまま背後に回り込んで耳元に口を寄せる。
「……僕も、ルルーシュのことがすきだよ。ずっとずぅっと、だいすきだ」
 笑っていたルルーシュが黙り込み、代わりに耳が赤くなっている。今度はスザクが笑った。
「素直な僕がすきなんだよね?ルルーシュは」
「っ、直球すぎるんだ!お前は!」
 目を覆っていたスザクの手を払って振り返ったルルーシュの真っ赤な顔に、たまらずその身体を腕の中に囲いこんだ。








 その日は近くの村で老夫婦の営む民宿に一夜の宿を求めた。老婦人は年若い四人の旅を心配して温かい料理でもてなしてくれた。
 夏の気配が濃厚になってきたとはいえ、まだ日が落ちた後の外は冷える。ここ数日眠りが浅かったらしいスザクは温かいスープに温もった身体のまま、早々に意識を手放していた。いつものように手を繋いでベッドの隣りに腰かけたルルーシュは意識を保ったままスザクを見つめる。瞼を閉じ、規則正しく呼吸を刻むスザクの表情は穏やかだ。
「スザク…」
 気を遣わせてしまった。本当は、知っていたのに知らないふりをして、無垢を装った。そうすれば、守られていれば良いから。やさしいスザクはルルーシュが苦しまないように、何も言わずに守ってくれるから。
 でも、それではだめなのだと気づいた。守ってくれるスザクと守られるルルーシュ。それが当たり前なのではない。スザクだって、ルルーシュと同じように不安定な生の中、必死に生きているのだ。眠れなければ辛い。一人で抱えるには人ひとりの命は重たい。そんな簡単なことが、今までわからなかった。
「すまない、」
 自分のことは自分が一番よく分かる。自分の感応神経は鋭すぎる。その反動が、問答無用で訪れる眠り。スザクやロロ、ナナリーといった他のアンドロイドたちとは一線を画すこの敏感すぎる感応力が、ルルーシュの力を、命をゆっくりと穏やかに吸い取っていく。
 だが、それは格別悲しむべきことではない。人であろうとアンドロイドであろうと、命を受けたものは誰もが先のみえない未来の中、手探りで生きていくものだ。寿命が長いものもあれば短いものもあり、天寿を全うすることなく不慮の死を遂げるものも数え切れない。ならば、ルルーシュとて同じなのだ。他のものに比べれば天寿は短いかもしれない。それでも、皆と同じように必死に今を生きている。それでいいと、思う。
(でも、)
 スザクはそうは思わないのだろうということも分かっていた。ルルーシュの特異体質の導く未来にうっすらと感づいている彼が悩んでいることを知っていても、ルルーシュには為す術がない。できることはただ、生きて彼の隣りにあれる時間を、大切にいとおしむことだけ。
 穏やかな寝顔を縁どる茶色の癖毛に手をからめて撫でる。スザクがよくルルーシュにしていることだ。やわらかいその髪にくちづけ、それから安らかな寝息をたてる唇をなぞった。


 いっそ、スザクの吐息に窒息してしまいたい――。


 温かい吐息を感じながら、いつもの眠りが波のように迫ってくるのを感じる。肺を満たしていく空気を惜しむように深く吸い込み、スザクの手を取った。ルルーシュの、明日の朝のひかりを見失わないように。






気持ちを知っていたって救える筈もなく





「ルルーシュ」
「スザク…、おはよう」
 いつもの朝。伸ばした手は、頬の代わりに柔らかい髪に触れた。
「おまえの髪、気持ちいいな」
「え…?」
「やわらかくて、おまえの笑顔みたいだ」
 大切なひとには素直な気持ちを。伝えられることを伝えて、この一瞬を重ねていく。手の届く、その隣りで。




(09.05.05)