エ ス ポ ワ ー ル










 淡い月光が天窓から落ちてくる。
 旅のものに開放されている教会で迎える夜はただただしんとした神聖な静けさに満たされていた。空気の中に何か凄烈な清らかさを内包して。
 ――神の領域に近い場所。
 神に祈るものたちは、この場所に安息を感じるのかもしれない。しかし、スザクは隣に眠るルルーシュの寝顔を前に眠れずにいた。
 清浄すぎる空気は心に潜む闇をあらいだしてしまう。
 神など、スザクには関わりのない存在だというのに、胸の奥まで暴かれてしまう。この身体が動かなくなる日が来たとしても、スザクたちアンドロイドには神の御許にかえる魂などありはしないというのに。


『そういえば、彼は大丈夫〜?』
『彼って……』
『僕の傑作だったんだよ?ルルーシュは』
『………ルルーシュに何か不安要素でもあるんですか』
『いやぁ別に〜?ただ、彼の眠りは穏やかかなぁと思っただけで』


 薄暗い研究所で不気味に光ったアイスブルーが忘れられない。
 夜闇の中、月明かりに浮かび上がる白磁の肌に左手を添える。右手はルルーシュの左手にしっかりと繋がれている。
 眠りに引きずられるルルーシュ。すがるように見つめられる瞳には恐怖さえ浮かべて。
 同じアンドロイドでも、スザクの眠りはそこまで急激ではない。ルルーシュのそれは、どこか尋常ではないと感じていた矢先のことだった。感情の読めないあの瞳。胸騒ぎがする。ルルーシュは弟妹ができたことを、それこそ実の兄のように、否、それ以上に喜んでいたのに。しあわせを追いかけて追いかけて、些細なそれを手にしたのに。これからもっとたくさんのしあわせをさがしながら生きていくところなのに。


 アンドロイドの命はかりそめのもの。普通の怪我や病気では死なないけれど、決して不死ではない。不自然な命であるがゆえに、いつなんどき何の理由で唐突な終わりが来るのかわからない。いつ来るかもわからない“いつか”が心臓に素手で触れている感触。ぬぐえない恐怖がいつもどこかにある。
 それでも。
 黙ってルルーシュの心臓を与えるようなスザクではない。


『彼は敏感すぎるんだよねぇ〜』


 この手にあるものはひどく少ない。数少ない持っているものは何にかえても守りたかった。みすみす指の間からこぼれ落ちるのを看過したりしない。
 規則的に頬を撫でていた手がわずかな身じろぎを感じとり、ルルーシュに意識を戻した。
 青白い光に照らされた彼があまりにも人形じみた美しさなので、このまま目覚めることがないのではないかと恐ろしくなる。神はうつくしいものを愛するのだそうだ。愛したものを手元に置きたがる。
 しかし。
 ならば、神の目になど触れさせない。
 枕元から見つめてくる聖母の瞳から逃れるように布団をかぶった。ふたりだけの空間、神聖すぎる空気を拒んでルルーシュにくちづける。二酸化炭素の多い生暖かい空気が肺を撫でてやっと思考が白濁し始めた。
 ゆるやかに沈んでゆく意識の中で眠る彼の姿もすぐに薄れていく。


 そこにはもう、
 ――誰も、いない。










「ロロ、ナナリー、静かにしないとスザクが起きるだろう?」
「でも外がすっごくきれいなんです!!」
 ナナリーが華やいだ声で窓の外を見つめる。ルルーシュもその視線を追うように窓の外を見やった。
 そこには一面を覆い尽くす光の花。日差しを受けて白く輝く花弁。
「……す…ごい…」
 この国では、春の訪れとともに一斉に桃色の花が咲き誇るのだと聞いてはいたが、確かにその景色は壮観だった。昨日は暗闇の中教会に一夜の宿を求めて入ってしまったのでそのさまをまともに見るのはこれが初めて。風が強いのか、満開の花が惜しみなく舞い散ってゆく。
「お兄さま!早く外に見にいきましょう!!ね、ロロも一緒に!」
「うん!兄さんはやく!!」
「…仕方ない、スザクを起こすか」
 そのとき、スザクが小さく声を出して瞼を震わせた。
「スザク、起きたか?」
「…ルルーシュ?」
「ほら、外。すごいんだ」
 布団から身を起こしたスザクが眩しげに眼を細めて窓の外を見た。
「ゆき…?」
「サクラだよ。起きて外に行こう。俺たちは先に行っておくから、スザクも着替えてこいよ」
「あ…うん、わかった」




 手早く着替えおわったスザクが外に出ると、吹き付ける風に一瞬視界を奪われる。風を手で遮って前を見れば、その鮮やかな黒を風に遊ばせて流れかかる髪を手で耳にかけているルルーシュの姿があった。光の破片のような花弁の舞う中、空を見上げるその姿は、ほんの束の間地上に舞い降りた神の御遣いのよう。ここは神の領域に近い場所。本当に、ルルーシュが神のもとへ連れ去られてしまいそうな錯覚にうすら寒いものが背中を駆け抜けた。
「ルルーシュ…!!」
 さわり、と木の揺れる音の中、思ったよりも震えを帯びた声が響く。ルルーシュがゆっくりと振り返った。
「スザク」
 目を細めて微笑む姿が太陽の光に眩しい。まろぶように駆け寄り、ルルーシュを腕の中に囲う。


(よかった。ちゃんとここにいる)


「スザク…?どうしたんだ?」
 ルルーシュの心配げな声が落ちてくる。でも、肩口に頭を埋めたまま何も答えず、ただまわした腕の力を強めた。すると、ルルーシュも無理に尋ねることはせずに無言でスザクの背に手をまわして抱きしめ返してきた。


 少し離れた所から聞こえる、ロロとナナリーのはしゃぐ声。
 耳元を過ぎていく風の音。
 規則正しくうつルルーシュの鼓動。


 次第に落ち着きを取り戻すスザクに、穏やかな声でルルーシュは語りかけた。
「本当にきれいだ…光の蝶みたいで」
 ゆるゆると顔をあげると、先ほど冷たい雪に見えたそれらが、蝶のようにスザクの網膜にあたたかな光を映した。
 そっと腕を緩めてルルーシュを解放する。代わりに、左手で彼の右手を取った。
「ちょっと待て、スザク。花びらが」
 ルルーシュの手が伸びて、スザクの頭から薄桃の花弁を掬い取る。
「ああ、ルルーシュにもついてる」
 いうと、黙って頭をスザクに向けて傾けたルルーシュに手を伸ばした。鮮やかな糸に指をからめ、唇を寄せる。誓いのキスのようにそっと触れると、ルルーシュが身じろぎした。
 名残惜しく唇を離し、花弁を取り去る。
「はい、とれたよ」
「……、ありがとう」
 花弁と同じ色に染まったルルーシュの頬を見て、自然に目許が緩んだ。






"いつか"は来るのか





 いつ来るかもわからない"いつか"。
 それが、できる限り遠い未来でありますように。
 スザクは紙に挟んだ桃色の花弁を手に静かに目を閉じた。
 祈る神はないけれど、代わりにルルーシュを守ると誓った己に祈ろう。




(09.04.12)