「あまり、心配させるな」



 滅多に感情を見せないはずのその声が、震えていた。


「前回と同じようにすれば良いんですよね?」
 角屋で夜な夜な開かれているらしい、反幕府勢力の密議について、山崎が土方に報告を持ってきたのはつい一週間ほど前のことだった。女だてらに肝の座ったところがある上に、常に誰かの役に立ちたいという思いを強く抱いている千鶴にとって、土方の提案は至極魅力的に映った。だから、千鶴は一も二もなくその「任務」を受けたのだ。「任務」をこなす自分は、「新選組の一員」であるかのようで嬉しかった。

 そうして千鶴が角屋での任務についてから数日、護衛をしてくれる山崎に報告を終えてから問うた。
「あの…、今回の件って、斎藤さんは関わってらっしゃらないんですか…?」
 前回の任務の折には、「角屋の用心棒」を名乗る斎藤がいかなるときも千鶴を助けてくれた。特に言及されることはなかったものの、今回も彼の助けがあるものとばかり思っていたのだが、千鶴が角屋に詰め始めてから一度もその姿を目にしていない。
「…斎藤組長は、現在別件で動いておられる。護衛が俺では心許ないだろうが、堪えて欲しい」
「そんな…山崎さんはすごく頼りになります! 私こそ、至らないところがたくさんあると思うので、問題のあるところは言ってくださいね」
「いや、雪村君はよくやってくれている。あまりは無理はしないで欲しい」
 表情を和らげ、口端を上げた山崎に、千鶴ははにかんだ笑みを返した。
 山崎は、素直な反応を見せる千鶴を好ましく眺めながらつい先日の出来事を思い出していた。

『千鶴が角屋へ?』
『ああ。既にお千には段取りを組ませてある』
『では、今回も俺が護衛に――』
『…それについてだがな、今回は全面的に山崎に任せて、斎藤には別の任務についてもらいてぇんだが』
 土方の言に、斎藤は刹那、苦汁を飲んだような表情を見せたが、瞬きの間に平生の冷静さを取り戻した。斎藤にとって土方の命令は絶対で、従わないという選択肢は最初から存在しない。
『して、その別件とは…?』
 説明を受け、了承した斎藤が部屋から出ていった後、土方は部屋の隅で待機していた山崎を顧みた。
『――これで良かったのか?』
『…はい』
『ったく、あの斎藤が使えねぇとはな…』
 前回の角屋での任務の際、芸妓衣装を纏った千鶴を前にした斎藤は明らかに普段の彼とは違っていた。会話をするときには相手の目を見て話す斎藤が千鶴を見ようとはせず、挙句には私情に走りながら無意識に敵を片付けるという離れ業を見せた。結果だけを見れば問題はなかったのかもしれないが、その過程には大いに不安要素があったことを山崎が報告していたのだ。
(斎藤組長…申し訳ありません)
 心の内でひっそりと謝罪をしたものだったが、斎藤のことを気にしているらしい千鶴を前にすると再び罪悪感がわいてくる。しかし、実際、現在のところ斎藤はこの場にいない。彼が守りたい存在を任されている山崎としては気は抜けない。
 ――わかっていた、のに。


「おい、そこのあんた、ちょっと舞でも披露してみせぇ」
「すいません、まだ見習いの身ですので…」
 宴の主催者らしい浪士からの指名に千鶴は丁重に断りを入れようとした。しかし、酒の入った男たちはその程度のことで引き下がるはずもない。
「ええから、ちょっと舞ってみい。きっと絵になるきに」
「そやなぁ! ちょっとでええから、な?」
 上機嫌に囃し始める浪士たちに、千鶴は腹を決めて腰を上げた。こんなこともあろうかと、舞のさわり程度は君菊から教示を受けていた。
「では、少しだけ…」
 三味の音色がゆるりと熱のこもった酒宴の座に流れ始め、千鶴は着なれぬ着物の長い裾をさばきながら、扇を片手に舞を見せる。一挙手一投足のすべてに魂を込めて舞う。ぴんと伸びた背も、嫋やかにしなる腕も、本当は見て欲しいひとがいた。そのひとはいないけれど、千鶴の想いはこの煌びやかな宴の場を越えて遠くへ馳せている。
 酒を飲む手を、そして料理を口に運ぶ手をとめて千鶴に目を奪われる男たちの視線をものともせず、堂々たる姿勢で短い舞を披露し終えた千鶴は丁重に礼をして上座から退いた。
 一瞬の間を置いて起こった歓声と拍手にその場が沸いた。
 気配を殺し、隣の間から様子を探っていた山崎もまたほう、と息を吐いた。そのときだった。
「ちょっと、お役人はん、困ります!」
 階下で甲高い声が上がり、続いてバタバタと階段を上がってくる気配。瞬く間に千鶴のいた宴席の襖がスパンと威勢良く開かれた。
「京都見廻り組である!」
 声を聞くや否や、酒に酔っていた浪士たちは素早く刀を抜き、戦闘態勢に入るもの、庇われるように逃げていくもの、その場は混乱の極致に至った。
「京都見廻り組って、新選組と同じ幕府側の組織…?」
 味方なら邪魔をしないようにと、自分の身のふりに意識を向けた千鶴の腕が強い力で引っ張られた。
(山崎さん?)
 そう思ったのも束の間。
「この女の命が惜しくば手出しは無用!!」
 気づいた瞬間には、喉元に無機質な冷たさを感じていた。酒と興奮のため、千鶴を拘束する男の手は震えている。見廻り組の男たちはぐっと詰まり、手を止める。店の無理を振り切って乱入してきた上、店の女を死なせては面目が立たない。
 千鶴を盾に退却してゆく敵。気丈に立ち続ける千鶴。
 混乱の中、屋根裏に回っていた山崎はどちらを取るべきかを刹那の間に決していた。
(――雪村君!)
 千鶴を戒める敵の背後に狙いを定めて躍り出ようとしたそのとき。
「ええい! ここまで来て逃がしてなるものか…!!」
 身動きの取れない千鶴をわき目に、逃げゆく敵に向かって男たちが走り出した。千鶴の喉に朱線が走り――。

 息をつめ、瞼を閉ざそうとした千鶴の視界に黒白が舞った。
 こんなにも色にあふれた場所で、それは見違えようもなく鮮やかに視界を灼く。
 いつもいつも守ってくれたひとの気配に、恐怖も忘れて千鶴は叫んだ。
「斎藤さん…!!」
 拘束されていた腕から力が抜け、解放された千鶴を受け止めたのはその場にはいないはずのひと。それでも、確かに、受け止められた腕の中、鼻腔を満たす香りはよく知ったもので。
「――無事か」
「…っ、はい」
「あまり…心配させるな――千鶴」
「は、い…!!」
 耳もとで紡がれる声は低く掠れ、微かに震えていた。どんなときも冷静な斎藤がこんなにも感情に揺れる声を出すのを聞いたことがない。
 「新選組の仲間」にはなれない千鶴を、それでも「心配」してくれるその心遣いに、視界が滲んだ。
 ――信じていました。



(2011.05.29初出→2013.03.03再録)
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