過去への




 冬が近づいている。色鮮やかな花が咲き乱れる春はまだ遠く、墓に供える花も限られてくる。彼が僕を「英雄」にしたてあげた日から、早くも数か月が過ぎた。手に持てばそれほど重いわけではない仮面も頭にかぶって民衆の前に立てば途端に数倍の重みを持って首や肩にのしかかる。これが僕に課せられた罰の重みで、それは長い間焦がれたはずのものだった。
 彼の墓には「主」がいない。気づいた時には、安置していたはずのルルーシュの遺体はきれいに消えてしまっていたのだ。何のために民衆の手に渡りその遺体が蹂躙されることのないようにしたのだ、と唇をかんだ。しかし、出ていった遺体が戻ってくることはなかった。遺体の代わりに、早々に脱がせていた赤に染まった皇帝服を、今は荒れ果ててしまったけれども紛れもなく過去の幸せだった頃の幻影が息づく枢木神社に埋めて彼の墓としたのだ。
 月に一度の彼の命日には必ず時間とマスコミの目を縫って枢木神社へ出向いた。大抵訪れるのは人の寝静まった夜、漆黒のマントと仮面でもって闇に溶けるように長い長い階段をのぼる。手にした線香はまだ一本。これから先、季節が一巡りして彼を刺した日がくるたびに一本ずつ増やしていくつもりだった。そうすれば、彼の死から流れた歳月は僕の中で色褪せないはずだから。
 手にした花を盛った土にのせた粗末な石碑のそばに置き、少し離して線香を立てる。どこか郷愁さえ感じさせる線香の香りを嗅ぎながら、静かに膝をつき、手を合わせた。ざわざわと騒ぐ木々の音は、遠い昔にルルーシュとナナリーとともに蔵の中で聞いた音だ。目が見えない分、音に敏感なナナリーがおびえると、ルルーシュはいつだって彼女を抱きしめて「大丈夫だよ、ナナリー」と、耳に滑り込むだけで温度を持つような、限りなくやさしさに満ちた声音で何度も何度もささやいていた。僕はそんな音におびえるような性質は持ち合わせていなかった。でも、今は。
 民衆がゼロを求める声は寝ても覚めてもやむことを知らない。あの日、彼の命が尽きようとする中、鼓膜を打ち続けたゼロを呼ぶ声。無数の、そして永遠に続くかとも思われたその声。覚悟して得たはずの罰は僕のこころを脅かす。たとえそこにルルーシュがいなくとも、主なき墓に参っては僕のこころを曝け出さなければいきてゆけない。ここには過去のルルーシュの気配がいまだ眠っているのだ。だから、かつて彼がナナリーにかけた声は甘い痺れをもって僕の耳を打つ。


「大丈夫だよ、ナナリー


 幻の持つ甘美さに僕は震え、そしてルルーシュの名を呼ぶのだ。ルルーシュ、るるーしゅ、
 供える線香の数をいくつ数えれば、君は僕を赦してくれるだろうか。…否、赦すのは自分、だ。長い間父を手にかけた罪に対する罰を求めていたのは他ならぬ僕自身で、そのための罰を死とはちがう形でルルーシュが僕に与えた。どこまでいっても彼は幼い頃の彼そのままにやさしかった。だから、今だって甘美にささやく。「大丈夫だよ、スザク


「…うん、だいじょうぶ、だ」


 寒風に吹かれて身体の節々が痛み、そろそろと身を起こす。光が射す前に立ち去らなければならない。
「……また、一ヶ月後に来るね」
 眠るものなき石碑に向けて風が吹く。燃え尽きた線香がぼろぼろと形を失って溶けた。








(08.12.10)