※汐さんとツイッターでお話しさせていただいていたらいつの間にか始まったリレー小説。
※最初の方は普通の会話だったので、少し手を入れさせていただいてます。
※文字色→汐さん/秋穂




今宵、手折られぬ花と





 その夜、新選組の幹部たちは島原にて宴会を催していた。余興の一環で、君菊の手によって美しい芸者姿に仕立て上げられた千鶴は、普段の少年姿とは似ても似つかぬ麗しい艶姿で面映ゆそうに皆の前に現れた。一通り称賛を浴びた後は、率先して酌をしてまわっている。
 普段、酒には強い斎藤だったが、この夜はどうも調子が違っていた。皆が口々に千鶴の麗姿を褒め称えているのに、ただただ見惚れるばかりで何も言ってやることができなかったのだ。見惚れる、とはいっても、表情の変化が表に出ない斎藤のことだ。千鶴は斎藤が何の感慨も抱いていないものと思っているかもしれない。
 一回り酒をついで回った千鶴が最後にやってきたのが斎藤の隣だった。注がれる尻から一息で飲み干しては、もう一杯とばかりに盃を差し出す。千鶴は斎藤の横から立つことなく酌をし続けるが、交わされる言葉はない。
 なかなか直視することができずに、ちらりちらりと横目で姿を窺っているうちに酒は着実に杯数を重ねており、常よりも早い動悸もあって酒が脳に薄靄をかけていく。酔って、いる。
 定まらぬ思考の中で美しい少女と、惜しみない賛辞を送った他の幹部たちのことを考える。

 平素の男装姿の少女もそれはそれで大変愛らしいのだけれど、芸者として着飾った少女は常になく艶やかで美しい。平素の姿からは想像できぬ、と思ったが少女は男装に隠れているが大変見目いい少女だ。あんな姿でこんな男だらけのところにいては危険ではないか。
「危ないから俺のそばを離れるな」
「は…はい!(でも何が危ないんだろう…?)」

 気づけばそう口にしていた。
 斎藤にとって千鶴の周りの男たちは全員危険なのだ。もちろん、この男のことだ。そこにあるのはただ「真剣」の一言のみ。己自身のことを棚上げして、冗談を知らず、謹厳実直を地でゆく男はかたわらに寄り添う少女を守るため、その肩に手を回した。

「でも斎藤さん…危険なものなんて特にありませんよ…?」
「なにをいう…ここはおまえにとって危険だらけだ…!」

「おいおい、誰が危険だって?」
 二人のやり取りを聞きつけた原田たちが周りに寄って来る。肩を抱いていただけの腕は、完全に千鶴をその内に抱きこんでしまう。無意識に腕に込める力は強まり、千鶴を胸に押し付けるようにして抱きしめていた。

「僕たちが危険なんてそんなことあるわけないじゃない、斎藤君♪」

「むしろ君が危険なんじゃない?…ほら、千鶴ちゃんが君の胸に押しつぶされて苦しそうにしてるし?」
 ハッと我に返る斎藤。息苦しさと羞恥で真っ赤な顔の千鶴に慌てふためく。

「ち…千鶴、すまない、不躾なことをしてしまったな…」
「い、いえ、斎藤さんが私のためを思ってしてくださったことですから…嬉しかったです…」
「そ、そうか…ならば、良かった」
 ……
「ナニこの空気」
「ま、諦めろってことだな」

 呆れた沖田たちが離れ、後に残されたのは向き合ったままの二人。頭を抱えて抱きしめていたために千鶴の髪が少しばかり乱れて落ちかかってるのに気づき、斎藤は手を伸ばして触れた。
「すまない…髪が乱れてしまったな」
「い、いえ…!このくらいなら大丈夫ですからお気になさらないでください」

「このかんざしはとても良く千鶴に似合っている。まるで千鶴のためにあるかのようだな」
「そんなことありません…私には勿体ないです」
「その着物もとてもよく似合っている」
 ……
「一君絶対酔ってるよ、あれ、あしたは絶対に覚えてないよ」

 普段寡黙な斎藤に次から次へと褒められた千鶴は、もはやただ顔を茹らせて俯いているしかない。
「……千鶴?」
 黙り込んでしまった千鶴を覗き込む斎藤に、その袂をきゅっと握って顔を上げる。
「さ、斎藤さんも…かっこいいです…!!」

 頬を紅に染めて己を見上げてくる愛らしさに、酔いも手伝ってくらりとくる。
「お前にそう言ってもらえる程の人間ではないが、お前のその言葉、誇らしく思う…ありがとう、千鶴」
「斎藤さん…!」
 微笑む斎藤に千鶴も微笑みを向ける。

 朱を刷く頬に、優美に弧を描くその唇に、ふわりとした意識のままに触れる。親指でなぞる唇は君菊の手で引かれた紅が鮮やかだ。
「…しかし、お前は紅など引かずとも良いかもしれんな」
 かすれた紅の下から覗く薄桃は控えめな千鶴によく似合う。

 唇に触れる指を感じて更に頬を染めてゆく千鶴に斎藤は更に酔いが廻ったような感覚を覚える。ただ、どうしようもなく目の前の少女が愛しい。
「斎藤さん…」
「どうした…?」
 ……
「皆さん見てらっしゃいます」
 ふと見回すとなるほど、宴の最中だ。

 先程までは確かに喧騒に包まれていたはずの座敷が、いつの間にやらしーんと静まり返っている。緩慢な動作で首をめぐらせれば、一様に周囲の視線はこちらを向いていた。180度めぐった視線は再び己の左手の行く先を追う。指先に触れる柔らかな弾力。潤む瞳を向ける…ち、づる。

 己を潤んだ上目使いで見上げている少女の愛らしさにくらりときながらも渋々その手を離すと少女の瞳が寂しそうに陰りを見せる。
「千鶴…?」
「いえ…」
 ……
「一君…ホントむっつりだよね…」
「しかも本人に自覚がないときたもんだ、敵わねぇよ」

 口々に洩らされた言葉に反論しようとするも、呆れたとばかりに頭を掻いた沖田が腰を上げるのを皮切りに、皆が残っていた酒を飲み干して立ち上がる。
「あーあついあつい。冷たい外の空気でも吸わないと肺が悲鳴あげちゃうよ」
「肺って…総司、おまえなぁ…」

 酒に酔っている頭ではうまく物事を考えられない。しかし酔っている割にはしっかりとした足取りで立ち上がった斎藤は、そっと笑みを浮かべ千鶴に手を差し延べる。
「千鶴…」
「はい…斎藤さん」
 酔ってはおらぬ千鶴の頬を眺めて斎藤は強く少女の手を握りしめた。

 握りしめた手は温かい。普段体温の低い斎藤は千鶴の手より冷えていることが多いのだが、この時ばかりは馴染むように高い体温が溶け合ってゆく。一番最後に座敷を後にし、そのまま帰ろうとしたところで足を止めた。
「このままお前を水揚げさせてくれぬか…と言いたいところだが…」

「もとよりお前は芸者ではなくただの娘だ…。だが、いつか、おまえの――いや、何でもない。少し酒が過ぎてしまったようだ」
 少しばかり頬を赤らめ、照れたように顔を背ける斎藤に小さく笑みをこぼして、千鶴も頷く。言葉にせずとも分かるものもある。
「帰るぞ、着替えてこい」

「はいっ!」
 返事を残して背を向けた千鶴は楚々とした歩みで君菊の待っているであろう部屋へと入っていった。先に外へ出ているべきか迷った斎藤は、しかしそのまま腕を組んで双眸を伏せる。それだけの動作で脳裏によみがえる千鶴の艶姿はこの先色褪せることなどないのだろう。

「斎藤さん、待っていてくださったんですね…ありがとうございます」
 再び姿を見せた少女に先程の艶やかさはなく、ただそこには楚々とした清廉さがあるばかりだ。桃色の着物に身を包み、白い袴を穿いた少年姿の少女がそこに立っている。
「いや、帰ろう」
 そう言って、手を差し出す。

 まるでそれが当然であるかのように伸べられた手に、千鶴は微かに息を呑むが、刹那の間に動揺を隠し、そっと斎藤の手のひらに己のそれを重ねた。剣を振るう硬さを持った手は、しかし驚くほどやさしく千鶴の柔手を包み返す。
(斎藤さんは酔われているから…)

 透き通るほどに白い少女の掌をそっと握りしめて、斎藤は思う。密やかなこの想いは決して表に出していいものではないと分かっている。しかしこの度、溢れ出てきた思いは確かに斎藤の胸に巣食っている想いだ。
 ――欲しいのだと。
 手を離し、指を絡めるように握り直す。

 言葉はなくとも、応えるように握り返された指は斎藤と同じ想いを秘めてくれているのだろうか。たとえ言葉で告げることはできずとも、今この時だけは、彼女の手も、その心も、己だけのものだと。そう思うことくらいは赦されるだろうか。意識して普段よりも緩い歩調で夜道を進む。

 丸い月が二人を照らす。伸びる影は平行ではなく、少しずつお互いに寄り添うようにそっと交わっている。それが気恥かしくも嬉しい。繋いだ掌から伝わる温度が混ざり合い溶けあって、このままこの世界が終ってしまえばいい。怖いほどの幸福感がそこにはある。
「ちづる?」

「もしかして…夢…なんでしょうか…。目が覚めたら、私はひとりでお布団に入ってて、朝の空気は冷たいだけで…夢だったんだっていわれたら、すんなり納得してしまいそうな…」
 幸福すぎる現実はかえって虚構じみている。切なげに眉尻を下げた千鶴に、斎藤は一層手に力を込めた。

「夢などではない…夢などにしてたまるものか…」
 切なげな千鶴の顔を見つめて、しかし斎藤は苦しげに眉を寄せる。言葉で伝えることすら出来ぬというのに、口付けなど出来るはずもなく、ただ千鶴の手を握りしめることしかできない。もどかしさに歯噛みする。

 ぎりぎりと痛いくらいに握りしめられた手を見て、千鶴もまた息苦しいような錯覚に陥った。口に出して言えたなら――。考えても詮無いことだ。
「……どうすればお前は今宵のことを夢ではなかったと思えるのだ?」
 千鶴の思考を断ち切った斎藤の声は切羽詰まった響きを宿している。

「抱きしめてください」
 その言葉を言うには勇気が要ったであろう顔は何よりも赤く、声は消えそうなほどにか細い。しかし斎藤の耳はきちんと千鶴の声を拾い、正しく理解した。理解した瞬間、手を引いて胸に抱き込む。先程酔って千鶴を抱き込んだ時よりも強く。離れぬよう。

 斎藤の胸の中に引きこまれた千鶴は、息苦しいほどに己を掻き抱く腕からおずおずと己の手を伸ばした。見た目よりもしっかりとした背に手を回して、さらに寸分の隙間さえも埋めてしまうかのように縋る。お慕いしています、とは言えない代わりに、この手にあらん限りの想いを込めて。

 震える指先を必死に延ばして、斎藤の体温を全身に感じて、小さく息を吐く。温かい温度が気持ちを満たしていく。夢なんかじゃなくて、消えたりなんかしなくて、やっぱり世界だってまだ終わって欲しくない。狂おしいと、叫ぶ心は張り裂けそうで、でも満たされている。感じられる。

「…ずっとこうしていられたらいいのに…」
 思わず漏らしたのは千鶴の偽らざる心だった。心配なのは、明日起きたときに今宵のことなど知らぬと、酔いから醒めた斎藤に告げられることだ。この想いも記憶も、分かち合えなくなることが恐ろしい。
「忘れ…ないでください…」

「忘れぬ。決してだ」
 酔いなどとっくに醒めている。そっと腕を解いて、指を絡め屯所へ向かって歩き出す。願わくばこれから訪れるであろう幾多の苦難をともに乗り越えることができるよう。この指が決して離れることのないよう。願う。祈る。今宵の宴の花が誰の手にも手折られぬよう。

 手を取り合って歩んだ道のりは決して長くはない。けれどその間、皮膚に塗りこむように体温を与え合った。屯所の門前で名残を惜しむように離れた手をじっと見つめ、次いで琥珀の瞳を映す。
「…いつかお前の艶姿に再びまみえる日も来よう」
 言外の願いを込めて、一夜の花へ言霊を。





気づいたら始まっていたリレーツイノベ(汐さん命名)でした!
140文字の制約が思いの外、難しいものなのだと知りました。
でも、思わぬ方向に進んでいくお話がとっても楽しかったです。
汐さん、4時間もの間お付き合いくださり、本当にありがとうございました!
冒頭部の手直しはお互い別々にしたので、是非是非汐さんver.もご覧になってください^^

汐さん宅↓



(2010.10.21)
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