追うように動いた視線は何を求めていたのですか


 新選組でその身柄を預かっている娘は好奇心がとても強いらしい。目を離せばすぐに厄介ごとに首を突っ込んでいる。とはいえ、その好奇心を支えているのは、どこまでも純粋な正義感であったり、相手のことを何よりも優先する優しさであったり、自分の身を顧みず他人の役に立ちたいという善意であるのだから、頭ごなしに否定することも憚られた。

 当初こそ、浅葱の羽織を纏い京の街を巡察する新選組への視線は厳しいものばかりだったが、個人的な付き合いのある店の者などはその態度を軟化させている。とりわけ、雪村がよく立ち寄る店では、彼女の柔らかな物腰や真摯な姿勢もあって好意的な応対を受けることが多い。

「ああ、雪村はん。しばらくぶりやなぁ」
「こんにちは。何か新しい情報はありませんか」
 馴染みの宿屋の主人に父親に関連する情報はないか尋ねている雪村を目の端にとどめながら、俺は戸口の外に立って往来を眺めていた。時折、巡察以外の任務で外へ出る際に彼女を伴うようになったのには理由がある。
 人目があるときには元気に笑っている彼女が、ひとりになると溜め息をついて物憂げな様子でいることに気づいたのはほんの偶然だった。探し人の手がかりを一向に掴めないままに月日ばかりが過ぎていた。目立つ隊服の者がそばにいては得られる情報も減ってしまう。それでも、不満ひとつこぼさず、健気にもその憂鬱を悟らせまいとするその姿に、助けてやりたいと思った。
 それともうひとつ。動き回る雪村を巡察をしながら監督するのがなかなかに骨の折れる作業だということ。御用改めを行っている間に厄介ごとに巻き込まれていても察知できないことに歯がゆさを感じるようになった。それゆえ、巡察中の聞き周りは最低限にする代わりに、別の機会を作って自由に聞き込みをできるようにしたのだ。

「お待たせしました、斎藤さん」
「収穫はあったか」
「いえ…」
 宿屋から出て来た彼女は眉尻を下げて困ったように笑う。慰めの一つも口にすべきかと迷って、結局口を閉ざした。これまでに幾度となく繰り返したやり取りだ。今更何を言ったところで気休めにもならない。
「あの! 実はご主人が新しくできた甘味屋さんの無料券をくださったんです。ご友人の娘さんが働いていらっしゃるとかで。…よければ、お付き合いいただけませんか?」
 二枚の薄い紙きれを嬉しそうに差し出して見せる彼女に、目元を緩めた。
「ああ。場所はわかるか」
「行き方も教えてもらったので大丈夫です!」
「そうか」

 先導して歩く雪村の後に続いて着いた先で、店の看板商品だというわらび餅を注文すると、向かい合って席に腰を下ろした。ぐるりと見回せば、落ち着いた雰囲気の内装の店内では年若い娘たちが談笑しながら菓子を食べている。
(雪村も、何もなければ彼女たちのように着飾り、好きなときに友人と菓子を楽しんでいたのだろうな…)
 江戸にいた頃のことは、多くを聞いたことはないがそれでもごく平凡な町娘としてあったであろう彼女の姿を思い浮かべていた。
「斎藤さん…」
 無意識に凝視していた娘たちから視線を戻せば、俺の視線の先を追っていたらしい雪村が「できたみたいですよ」とわらび餅を運んでくる売り子を見た。
 一瞬で掻き消されたが、どこか淋しげな微笑みを浮かべていた気がする。――なにゆえ。
 探るようにその顔を見つめてみたが、名残りの気配さえ見出せない。
「きな粉だけじゃなくて中に餡も入ってるんですね! あったかくておいしいです」
 さっそく出来立てのわらび餅を口に運んで口元をほころばせている。俺も箸にのせて口先へ持っていった。きな粉の香ばしい香りがふわりと漂い、舌にのせればやさしい温かさでとろけてゆく。
「…美味い」
 口当たりやさしいこの味は、どこか彼女の作る料理と似通っていると思った。
「好みで黒蜜をかけても良いそうですよ?」
「いや、俺はこれでかまわん」
 用意されていた黒蜜をきな粉の上からかけている雪村を見ながら茶を啜る。本当に幸せそうに食べる彼女を見ているのは飽きない。
「…? どうかされましたか?」
「いや、あんたは美味そうに食べるものだなと思っていただけだ」
「あ。斎藤さんもう食べ終えられたんですね。ごめんなさい、お待たせしちゃって」
「折角だ。ゆっくり味わうといい」
「ありがとうございます」
 時折話をする雪村の声に耳を傾けながら茶請けに出された豆を食べては湯呑を口へ運んだ。ひどく穏やかな時間だった。

 帰り道。
 家路につく人々で往来はほどよく混雑している。
 隣を歩く雪村は、行き交う人々の顔をきょろきょろと忙しなく見ていた。綱道さんの姿を探しているのだろう。そのとき。
「っ、」
 横に振り向いた雪村が前触れもなく駆けだした。
「雪村!?」
 そう速くはない彼女の足にすぐに追いつく。足を止めた彼女の視線を追う。そこには、町医者なのだろう、頭を刈り上げた壮年の男性の後ろ姿があった。
 肩を落とす娘の目は届かぬものを見るような色を宿していて、ちりちりと喉の奥がうずいた。
「………雪村、」
 返事はない。
「日が暮れる。そろそろ帰るぞ」
 幸せに細められる瞳。縋るように切なく揺れる瞳。淋しげに笑う瞳。
 気づけば、次々とその表情を移ろわせる琥珀の先を追っている。
 伸ばそうとして、行き場を失っていた彼女の細い手を取ると、飴色の瞳に自分が映るのがわかった。

 ――視線の先を追うのは、彼女を監視する命令があるからだ。
 彼女の瞳に自分がある限り、問題は起きないのだから。
 逃れようとはしない手を握ったまま、橙に染まりゆく街を無言で歩み続けた。



(2011.06.01)