それに気づいたのはいつだっただろうか。 ――彼は好きなものを最後に残しておく人だ。 にぎやかな広間で藤堂や永倉らが騒がしくおかずの争奪を行っていても、我関せずの体で黙々と食事を続けているかと思えば、時に漁夫の利さながらの図で何食わぬ顔をしておかずを攫ってゆく。そんな斎藤だが、彼の箸捌きはとてもうつくしい。どんな料理も器用に箸先にのせては膳と口元の間を流れるように往復するその動作は見ていて飽きない。あまり感情を面に出さない彼の表情はなかなか読めないのだが、ずっと見ているうちに、彼が好きなものを食べるとほんのわずかに目を細めて咀嚼の早さが緩くなることと、それがたいていの場合、食事の終盤であることに気づいた。 千鶴は不躾にならぬ程度に視線を送っているつもりでも、気配に敏い彼のことだ。早々に問いを投げかけられた。 「雪村、何か用があるのならば言え。そのように見つめられては食べにくい」 「、ごめんなさい! ただ、斎藤さんが美味しそうに食べてらっしゃるのを見ると嬉しくて」 「……美味そうに、というのなら、新八や平助ではないのか」 「もちろん、永倉さんたちも美味しそうに食べて下さいますが、斎藤さんもですよ。お好きなものだと、ほんのちょっと味わうような召し上がり方をされますよね」 「…そう、だろうか」 「はい!」 にこにこと、自身さえ意識していなかった些細な変化を見落とすことなく拾い上げる千鶴に、斎藤は内心驚いた。 「あんたが当番に参加するようになってから、食事の質は格段に上がったからな。美味い飯を食えることには感謝している」 「そんな…拙いものなのでお恥ずかしいです…」 「謙遜する必要はない。味付けが濃すぎるということも薄すぎるということもなく、献立が栄養面で偏っているということもない。あんたの料理の手腕は大したものだ」 至極まじめな顔で絶賛する斎藤に、千鶴は視線を揺らして目を伏せた。顔が火照っているのがわかる。 「えと…あの、ありがとうございます。こんなことでしかお役に立てないので、もっと頑張りますね」 許された範囲で自分のできることを最大限に努力する。いかなるときも素直で、しなやかな強さを持つ娘のありように、斎藤は目元を緩めた。 「斎藤さん、おはようございます!」 その日、朝餉の当番である斎藤が朝の鍛錬を終えて厨に着くと、既に支度を始めている千鶴の姿があった。 「すまない、遅れただろうか」 「いいえ。まだ取りかかったところですよ」 盥で野菜を洗っている千鶴から「斎藤さんはお味噌汁のお支度をお願いします」と指示があると、それに従って準備されている具材を切りにかかる。切り終えたところで用意されていた出汁に具材を入れた。 「あ、お豆腐はこちらを使ってくださいね」 手際よく焼き魚をあぶりながら、小鉢の支度をする千鶴の手元に斎藤が視線を注いでいると、 「お豆腐が安かったので、これでもう一品作ろうと思って。……斎藤さん、お豆腐お好きですよね」 「……なにゆえそう思う」 「いつもお豆腐料理は最後まで残してらっしゃいますし…」 「そう、だったか」 「斎藤さんが美味しそうに食べて下さるから、作り甲斐があります」 ふわり、微笑む千鶴は手を止めることなく豆腐と小松菜をごま油で炒め、醤油を加えた。食欲をそそる良い香りが広がる。 「その料理は初めて見るな」 「砕き豆腐っていうんですよ」 以前に比べて許容される行動範囲が広がり、八木家の奥方との交流を持つようになった千鶴は、彼女から新しく豆腐料理を教えてもらっている。 いつもよくしてくれる斎藤に何か礼をしたいと考えたとき、千鶴には何かを新しく買い求める金子も、元より持っているものもなかった。それでも、斎藤が褒めてくれた料理の腕と、彼が好きなものに思い至ったとき、千鶴のとる行動は決まったのだ。ささやかな感謝の気持ちから作っている料理は、斎藤がそれを口にするときの表情を見れば、むしろ見返りを得てしまっているのではと思うほどに千鶴を満たす。 ――千鶴が作ったものを食べて満足げに細められる瞳。 斎藤の好物と知っていて、わざわざ豆腐を調理する千鶴。斎藤は味噌を溶き入れた鍋をかき混ぜながらちらりと隣で柚子をみじん切りにしている娘を盗み見た。 (深い意図はないのだろうが…) それでも、どこかで感じてしまう。 ――斎藤のために作られる、千鶴の手料理。 焼き魚を皿にのせ、小鉢に盛った豆腐と小松菜に柚子と切り胡麻をかけ終えた千鶴が振り返る。 「お味噌汁、そろそろできましたか?」 「、ああ」 「では、お椀によそっていきますね」 我に返って炊き立ての白米を盛り付けて膳に並べながら、斎藤はそっと細く長く息を吸った。 ――それが自分だけのものだなんて、そんな錯覚をすることは許されるだろうか。 (2011.05.08) |