他の誰かと同列でなければ傍にいてはいけませんか


「斎藤はん、ええ飲みっぷりどすなぁ」
 新選組幹部にとってなじみの場所となった角屋で、今宵もひと時の憂さ晴らしにと宴が催されていた。芸妓を呼んで喧々囂々、気の向くままに興じている永倉らを尻目に、千鶴はちらりと視線を斜め前へ流した。こんなにも音が溢れているのに、一音漏らさず聞こえてしまう声。耳あたり柔らかな京言葉を向けられているのは斎藤だ。
 千鶴の隣でちびちびと酒を飲んでいる沖田の向かい側にいる斎藤は、いつみても変わらないぴんと伸びた背筋のままに盃をあおっている。彼の隣にはうつくしく着飾り、艶やかな笑みを浮かべた芸妓が座り、酌を続ける。
「…千鶴ちゃん、食べないならお箸動かすのやめれば?」
 料理を口に運ぶのを忘れ、表情を崩さず黙々と酒を流し込んでゆく斎藤をそっと窺っていたら、唐突に間近で声をかけられて大げさに肩を揺らしてしまった。
「お、沖田さん!?」
「ほら、折角の料理が台無し。高価な食事は口に合わない?」
「…いえ、そうじゃなくて……」
 言葉を濁す千鶴に、沖田は大げさに溜め息をついた。
「はぁ…。隣でそんな辛気臭い顔されてちゃ良いお酒もまずくなるよ。そんなに気になるなら、君も芸者姿で一くんにお酌する?」
「!?」
「そんなに驚かなくても、芸者姿なら前に一度披露したんじゃなかったの」
「それはそう…ですけど…」
 以前、初めて角屋に来た際に余興の一環として芸妓の衣装を纏い、皆に披露したことはあった。そのときは目新しさもあってだろう、皆が口々に千鶴の艶姿を誉めそやしてくれて、うれしくも恥ずかしい思いをしたものだった。しかし、あのときも斎藤は千鶴の姿に特に関心を示さず、何も言われなかった。
「私じゃ、格好だけ着飾ったところで、到底芸者さんみたいにはなれないんです」
「ふ〜ん? 僕は馬子にも衣装って思ったけどね」
「……」

 千鶴は普段、事情があって男装で生活している。髪を高く結い上げ、袴をはいた姿では、元より乏しい女らしさは全く残らない。そんな生活を不満に思っているわけではない。しかし、こうしてうつくしい女性と膝を並べる斎藤を見れば心穏やかではいられない。
 新選組の屯所は徹底的に男所帯で、巡察の最中に接触する女性は、いたとしても任務遂行のための義務的な接触だ。でも、今は違う。斎藤は日頃許さぬ距離を、千鶴ではない女に許しているのだ。
 何くれとなく世話を焼いてくれる斎藤が千鶴に傍にいることを許してくれるのは、千鶴が彼にとっての「監視対象」だからにすぎない。監視するのに都合のいい距離が、たまたま心許してくれているかのような錯覚を招いているだけ。
 だから、千鶴は何度となく自分に言い聞かせるのだ。斎藤にとっての自分が何たるかを。

 言葉なく俯いてしまった千鶴を横目に、沖田はふらりと立ち上がると、土方の傍に控えていた君菊の元へ行き、事の顛末を告げた。話を聞くや否や、君菊は任せておくれやす、と微笑み消沈の体で座り込んでいた千鶴を伴ってその場を辞していった。

「ほら、見てもらいたいお人がいはるんどすやろ?」
 身体を包む幾重もの着物の裾で足元が不自由だったが、それだけのせいではなく足運びの重い千鶴に君菊が問う。否定はできなくて、でも肯定することもはばかられて、千鶴は前で大きく結われた帯の端をキュッと掴んだ。
「斎藤はんのお酌ができるよう、うちがうまいことしますよって」
 嫣然と微笑む君菊は、やはりさすがは天神である。大人の女性の色香に千鶴は目元を染めた。

「斎藤はんは、ほんにお酒に強おわすんやなぁ」
「……俺が特別強いというわけではない」
「まだ素面なん、斎藤はんくらいどすえ?」
 斎藤はちらりと周りに視線を巡らせた。確かに、永倉、藤堂、原田らは腹踊りに盛り上がり、少し前までひとりでちびちびと酒を飲んでいたはずの沖田は、土方の前で何やら句を読み上げて怒りを買っていた。
「まだ飲まはるんやったら、ちょっと付きおうてくれはりませんやろか」
「付き合う…とは」
「お酌の練習どす」
 君菊の合図のあとに、千鶴はそろりと身を進め、戸惑いながら斎藤のもとへ腰を下ろした。先ほどまで斎藤の酌をしていた芸妓は座を外していない。
「っ、雪…村…」
 目を瞠る斎藤に、千鶴は居た堪れず小さくなった。
「あの…お嫌でしたら、断っていただいて構わないので…」
 震えそうになる声をなんとかおしとどめて顔を上げれば、斎藤はさっと目を外してしまう。
「いや、嫌では…ない、が…」
「でしたら、少しだけお付き合い願えませんか」
 逸らされた視線に、身を引いてしまいたくなるのを堪えて銚子を手にすると、斎藤は黙って盃を差し出した。
 こぽぽぽぽ――。
 千鶴が注げば、ぐいと喉へ流し込む。
 交わす言葉はなく、視線も交わらない。それが淋しくて、でもこの距離を許してもらえたことに安堵もする。
 他の誰でもなく、自分にだけ許してほしいだなんて、そんな願いは叶うわけがないと知っている。だから。
 だから、千鶴はただ、酒を飲み干す薄い唇を、目を細めて見つめていた。
 


(2011.05.07)
花魁言葉がわからないよ!