五月の終わり頃、僕は移動教室のために一人で廊下を歩いていた。 同じクラスの一君や平助は珍しく隣に居ない。 一君はご苦労な事に先生の準備の手伝いをするために生物室へと先に行っていたし、平助は忘れ物をしたからと今さっき教室に戻って行った。 周りには同じクラスの人が居たけど、別に親しくもないから喋る気にもならない。 「ふぁ……」 大きくあくびを隠す事もしないで漏らしても、ざわざわと騒がしい廊下では僕のあくびなんて掻き消えていくだけ。 「だらしない顔をするな」と小言を言ってくる誰かさんも、一緒になって「しょうがないじゃん、授業面倒くさいし」と一緒になってあくびをしそうな誰かさんも居ない。それが少しつまらない気がした。 (んー……サボろうかなぁ……) ずらりと大きなガラス窓が並ぶ廊下は入る日の光で物凄く温かく、正直ここで寝ちゃいたかった。ガラスごしに外を眺めると晴れた空をゆっくりと流れる雲、ゆったりした風景が余計に眠気を誘う。 いっそこのまま屋上に行って昼休みまで寝てようかと考え始めた頃、その声が僕の耳に飛び込んできた。 「あ、沖田先輩!」 別にそこまで大声でもないのに、その声だけはやけにクリアに僕の耳に届く。 顔を正面に戻すと少し先から彼女――千鶴ちゃんがこちらに小走りでかけてくるところだった。その姿にふと違和感を感じ、視線を少しだけ頭上へと上げる。 (あれ? 懐かしい髪型してる) いつものゆるく下の方で括る結び方ではなく、高い位置で一つに結ばれた髪型。それは今ではない昔に彼女がずっとしていた髪形に良く似ていて、走るたびにその尻尾がぴょこぴょこと元気よく跳ねていた。 (まぁ、同じ髪型でも男の子に見せるためってわけじゃないけどね) ジャージにハーフパンツということは、次は体育の授業らしい。髪型の変化はそのために、といったところかな。 それはともかくとして、彼女が僕を見つけて駆け寄って来るのは少しだけ意外だった。 今、僕のそばには平助も一君も居ない。ここ一ケ月近く一緒に昼ご飯を食べてはいても、前世の記憶の無い彼女にとって僕は「幼馴染の友人その二」くらいの認識だろうと思うんだけど? 「おはようございます! 移動教室ですか?」 「うん。今ちょうど生物室に行こうか、それとも屋上に行こうか考えてたところ」 「え……?」 僕の言葉にきょとんと大きな目を瞬かせて首を傾げる彼女。 そのままにこにこと笑う僕に「あ、屋上で授業があるんですか?」と見当違いの事まで聞いてくるから、ついつい「僕の個人授業、かな?」とますます悩ませるような事を言ってみる。予想通り戸惑う彼女の表情が面白くって、もう少しからかおうかと口を開いたところで後ろから邪魔が入った。 「千鶴ちゃん、授業に遅れちゃうよ!」 僕の後ろの方からかかった女子生徒の呼びかけに、彼女が慌ててそちら側に「ごめん、すぐに行くね!」と声を上げる。気が付けば授業時間がもう迫っていた。 「すみません、沖田先輩失礼します」 「うん、じゃあまた昼休みに」 ぺこりと頭を下げる彼女に笑みを浮かべ、軽く手を上げる。 足早に僕の隣をすり抜けていく彼女の姿を目で追うと、かつての彼女の姿が不意に重なった。 黒い髪を跳ねさせ、袴の裾をぱたぱたとはためかせて僕の隣を通り過ぎていく「かつての彼女」。 ちらりと何気なく見た彼女の横顔はやけに嬉しそうだった。その表情に、その視線の先に何が居るのかと見れば一君が居て……。 「きゃぁっ!?」 突然上がった現実の彼女の悲鳴に過去の幻視が掻き消される。 「うん?」 見ると僕の左手にはしっかり彼女のポニーテールが握り締められていた。 そのうちの掴み損ねた一房が遅れたようにさらりと僕の掌を滑り落ちていく、それがやけに心地いい。それはかつても今も変わらない、女の子らしい彼女の髪の感触そのもの。 よほど掴まれたのが痛かったのか、目じりに涙を浮かべて振り返る彼女に「昔の千鶴ちゃん」の姿が重なって映る。 「お、沖田先輩、離してください」 遠慮がちな抗議にまだ自分が髪を握り締めたままだったことを思い出した。 「あー……うん、ごめんね?」 あまりに無意識だったからむしろ自分の方が驚いていたかもしれない、生返事気味に言葉を返し彼女の髪から手を離す。 「……沖田先輩?」 すぐに離したのが意外だったのか、不思議そうな顔でこちらを見上げる。僕はその彼女をじっと見下ろしながらも、見ていたのは「今の千鶴ちゃん」じゃない、「かつての千鶴ちゃん」だった。 二重にぼやけるように映る姿、『沖田さん?』そう僕を呼んだ声まで重なって聞こえた気がする。 (何で、手を伸ばしたんだろう?) 自分の左手に目を落としても何か答えが書いてあるわけでもない。 ぼんやりとした気持ちのままで視線を戻すと、心配そうな千鶴ちゃんの目がこっちを覗きこんでいた。 「あの、どこか具合でも……?」 それがあんまりにも「昔の僕」を心配し続けた彼女にそっくりだったから、思わず目を見開く。 僕と違って記憶がないのにどうしてこうも同じようなことを彼女はするのだろうか。もしかするとそんな事は関係なしに、結局のところ千鶴ちゃんは「千鶴ちゃん」で、実はそんなに変わらないのかもしれない。 そう思うと何だかおかしくて、顔を緩ませてくしゃりと彼女の頭を撫でる。 「今の僕は健康そのものだよ」 こっちの言い方に「今は?」と不思議そうに問い返す彼女に曖昧に笑ってから、そっと撫でていた手を離した。 昔の僕と違ってね、だから心配なんてしなくていいんだよ。後に続くはずのそんな言葉は出て行く事はなく、胸の中でひっそりと呟かれるだけ。それは彼女が知らない、知らなくていいことだった。 僕の様子に何か感じるものでもあったのか、妙に不安そうな表情を浮かべて彼女が「あの……」と口を開くからわざとらしく廊下の時計へと目を向けて言葉を遮る。 「ねぇ、千鶴ちゃん。授業に遅れちゃうよ?」 「え……? あ!!」 慌てながらも律儀に頭を下げてから駆けいく彼女。 その後ろ姿を見送り、それが見えなくなった頃に息を一つ吐き出す。 (何やってるんだろうね、僕は) 消えていった小さい背中は、かつて見送ったものとよく似ていた。 そういえば、あの時の僕も彼女の髪を掴んだんだった。確かその後、一君にさんざん「子供のような事をするんじゃない」と怒られて、最後には被害者のはずの彼女に仲裁に入られたんだ。 ……でも、あのときも今も、僕は悪戯がしたくて手を伸ばしたんだっけ? 考え始めると、もやもやとした気持ちがせり上がってくるばっかりで、途中で考え続けるのを放り出した。そういうくよくよ悩むのは平助あたりが似合ってる、僕のすることじゃない。 (やっぱり、授業さぼろうかな……) 足早に教室へと向かうクラスメイト達をすり抜け、群れから外れて一人階段を上がっていく。 今日は一日快晴らしいし、彼女達がやってくる昼休みまで屋上で寝ているのがいいかもしれない。その頃にはきっとこの気分も少しは晴れているだろうから。 相互記念にミドリさんからいただきました! ミドリさん宅のSSL連載『相も変わらず 斎藤さん!』がだいすきなので、唯一前世を覚えている沖田さんが幕末の頃を回想するお話をリクエストさせていただきました。 自分だけ記憶があって誰とも過去を共有できないって辛いことだと思います。記憶の有無にかかわらず斎藤さんを追いかけてる千鶴ちゃんを見る沖田さんの姿が切ない…。ほのぼのしているけれど、どこかキュッとするお話といったらミドリさんだと思います! …それにしても、私が手にまつわる表現萌えなのを見越したかのようなお話で大興奮してしまいましたっ!手を伸ばすっていいなぁ…v ミドリさん、本当にありがとうございました!! ミドリさん宅↓ (2010.10.09) |menu|
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