※偶然、PSP版随想録の追加要素と微妙にネタがかぶったっぽいですが気にしない方向でお願いします^^;




 その祈りが、いつか自分のためにも捧げられたならば。
 詮無いこととは知りながら、願わずにはいられなかった。




その手を消化する頃には





 慶応元年7月16日。盆を終え、死者の霊――いわゆる、お精霊(しょうらい)さんを彼岸へ送るために送り火が行われる京都では、夕刻になっても市中のにぎわいは増していく一方だった。



 昼の巡察を終えて帰陣した斎藤は、まだまだ厳しい暑さの中、袖をまくって大量の洗濯物を取り込んでは畳むという動作を繰り返している千鶴の姿を視界に認めた。竿のそばまで歩いていき、洗濯物を手に取って縁側に持っていくと、そこで初めて千鶴は斎藤に気づいたようで、隊服を畳む手を止めて「斎藤さん、帰ってらっしゃったんですか?おかえりなさいませ!」といつものように微笑んで声をかけてくる。
「ああ、ただいま」
 そのまま、もう一度竿から残りの洗濯物をすべて引き払ってくると、彼女の隣に腰を下ろした。
「わざわざありがとうございます!あとは私がしますから、斎藤さんは休んできてください。もう少ししたら夕餉のお時間ですし…」
 黙って畳むのを手伝い始めると、千鶴は恐縮したように斎藤を止めた。隊務を終えたばかりの斎藤に雑用をさせるわけにはいかない、と慌てて洗濯物の山を自分のほうへ移動させる。
「この程度のことは構わん。この方が、あんたが一人でやるよりも早く片付くだろう」
「でも…」
 なおも納得できないと眉尻を下げている千鶴を横目に、斎藤はいったん立ち上がると千鶴の前をまわって洗濯物の側に改めて腰を下ろす。そうして、山になっている浅葱色の隊服に手をかけた。
 ――しばしの沈黙の後。
「やっぱり、斎藤さんに雑用をさせるわけにはいきません…!!」
 言うと、千鶴は斎藤の手から羽織を取ろうと手を伸ばした。両者が一歩も譲らず、両端を千鶴と斎藤が引っ張る形になったところで、上から声がかかった。

「…お前等、何やってんだ?」
 呆れの混じった声音に、二人がとっさに視線を上げると、そこには新選組を束ねる美丈夫――副長の土方歳三の姿があった。

「副長!?」「土方さん!?」
 斎藤と千鶴が声を重ねて、土方の出現に驚いたところで、二人の手から力が抜ける。必然、重力に従って地面へ落ちていく隊服。
「「………」」
 呆然と土の上に広がった浅葱色を眺めていた斎藤だったが、はっと我に返ると身をかがめて羽織を拾い上げた。
「せっかく洗ったものを…すまん」
「い、いえ。むしろ、私が無理に引っ張ったから…すいません。また洗い直しておくので、貸していただけますか?」
 千鶴は斎藤がすまなさそうに手渡してくるのを受け取ると、簡単に畳んでそばに置いた。

「ったく、何をしているのかと思えば…」
 土方の漏らした言葉に、斎藤は気まずげに視線を落としたが、間を置かず呼ばれた名に顔を上げる。
「斎藤はこの後、何か予定はあるのか?」
「いえ…特にありませんが。…仕事ですか?」
「いや、そうじゃねぇよ。ちなみに、千鶴はどうなんだ?」
「私…ですか?夕餉の後は、お預かりしている繕いものをしようかなと思ってますが…」
「そうか。んじゃ、お前等、夕飯食ったらちょっと出掛けて来い。今日は送り火だろ?せっかくだから、二人で見てくるといい。――斎藤、任せてもいいな?」
「…はい。わかりました」
 斎藤が了承するのを見届けると、土方はそのまま踵を返して去っていってしまった。

「え…っと、本当に良いんですか…?せっかくの斎藤さんのお休みの時間なのに…」
「かまわん。副長の命令だ。それに、京都にいるのだから、一度は送り火を見ておくのも悪くはあるまい」
「送り火って、灯篭を流したりするんですか?」
「いや、京では毎年7月16日に方々の山で篝火をたき、死者の霊を冥府に送り届けるそうだ。中でも、如意が嶽の大文字型のものは特に著名らしい」
「そうなんですか…。去年は禁門の変の直前で慌ただしかったから全然知らなかったです」
「そうだったな」
 あれからもう一年が過ぎた。時の流れは驚くほどに早い。この娘が新選組預かりとなってから一年半以上の月日が流れたことになる。
「…早いな」
「え?」
「あんたが来てからもう随分経ったものだと思っただけだ」
「そうですね…。私も、いつの間にか」
 ――いつの間にか、“帰る”場所が江戸の家ではなく、“此処”だと思うようになっている。そのことにふと思い至った。新選組の皆さんと、…斎藤さんの、いる場所。
 千鶴が不自然に切った言葉をどうとったのか、斎藤が続きを問い詰めることはなく、二人は手早く洗濯物を畳む作業を再開した。



 夕餉を終えて一息ついた暮六つ(午後7時)頃、斎藤は千鶴を伴って西本願寺の屯所を後にし、人でにぎわう京都市中を歩いていた。本来ならば宵五つ(午後8時)には門限があり、それ以降の外出は認められないのだが、今回ばかりは土方の指示なのだから時間は問題ない。斎藤の後ろからついてくる千鶴の気配を確認しながら、ゆっくりとした歩調で街中を進む。

 人ごみが多くなってきたところで、「あっ」と小さな声が背後で上がった。振り返ると、人波に流されて離れてしまった千鶴がこちらに手を伸ばしている。斎藤は波に逆らって少し逆走すると、千鶴の腕をとって自分の前に連れ戻した。
「すいません…ありがとうございます」
「……思った以上に人が多いな。場所を移す」
 そういうと、斎藤は千鶴の手首を取ったまま歩き出した。日が暮れてもまだまだ蒸し暑い中、人の体温など不快なはずなのに、不思議とそんなことを感じることもない。千鶴は斎藤に握られた手首と、まっすぐ前を見て進んでいく斎藤を交互に見た。初めて会った邂逅の夜から、千鶴を守り、助けてきてくれたその手のぬくもりを厭うわけがないのだ。しばし目を閉じて過去を思い返すと、手を引く斎藤の肩越しに宙を見上げた。



 それからしばらく人の間を縫うように歩き、路地を抜けて出た場所は人気がなくしんと静まり返っていた。
「あ!斎藤さん、あそこ!」
 千鶴の指差す先を見れば、遠目に見える山の斜面に橙の炎がぽつぽつとともっていく。見る間に、炎の連なりははっきりと「大」の字をかたどった。
「本当に“大”の字の形になってるんですね!」
 興奮したように口にする彼女の隣で首肯を返す。
「時間をおいて他の山も点火されるはずだ」
「他の山、というとどちらの方向なんでしょうか」
「松ヶ崎西山・東山、西賀茂船山、大北山などゆえ、四方に分散しているな。ここからではすべてを見るのは難しいやもしれん」
「そうなんですか?でも、大文字が見られただけでも嬉しいです。連れてきてくださってありがとうございます!」
 屈託のない微笑みを浮かべて感謝を述べられ、斎藤も目元を緩めた。
「千鶴、向こうに“妙・法”の字が灯ったようだ」
「わ、本当だ!二つの山に並べて火を焚いてるんですね!」
 北方を指す斎藤の指先を追った千鶴の視線が再び闇に浮かぶ焔を映すのを横目で見つめる。
 ひとしきり感動を表した彼女は、やがて手をあわせて瞑目していた。此岸に束の間帰っていた魂たちが、再び彼岸へ旅立っていく。毎日多くの命が失われるこの時代、どれほどの魂があの火に送られ還っていくのだろうか。迷わず旅立ち、そして安らかに眠れるように。代償となった命の上に立っている今を自覚している千鶴は祈る。そっと伏せた目を上げ、尚も送り火を見つめ続けた。


 千鶴の隣に立ち、斎藤は己の掌を見た。
 毎日のように、命を奪い続ける左手。死者を生み続ける己が、平然と手にかけた命の冥福を祈るなど、厚顔であるし、矛盾しているとも思う。この手は千鶴の穢れなき柔手とは違う。祈るために合わせる手など持ってはいない。
 刀を振るう限り、いつか、自分も誰かの刃に敗れ、命を散らせる。それが理で、誰かに冥福を祈られることを望んでいるわけではない。
 しかし。
 薄闇の中、静かな瞳で祈る彼女を見れば、ほんの少しだけ、それが羨ましいような気がして胸の奥がさざめいた。



 帰途、人気の少ない道を二人で連れ立って歩く。微かに涼しい風が吹く中、ゆっくりと進む道行きにはぐれる心配などない。それでも、斎藤は千鶴の手を握り、屯所へと歩みを進める。
 ――どうしてこの手を離したくないのか。
 今はまだ、はっきりと答えが出ない。それでも、握り返された手を離さずにいれば、いつかはその答えが見出せるのだろうか。そして、そのときには、この胸の奥でさざめく声なき声も聞こえるのだろうか。

 すべてはまだ、宵闇の中。



(2010.08.16//nostalgia
京都五山の送り火は、現在は毎年8月16日に行われています。(旧暦では7月16日)見に行こうとして行きそびれたのでTVで中継を見たあと創作に走った次第←
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