※公式ブログ七夕企画ネタ




 末永く、共に
 仲睦まじくありますように




幾億の星の下 光を弔う





「表の笹をどうした」
 仕事から帰ってきた一さんが上着を脱ぐのを手伝っていると、おもむろに問われたのは、玄関の脇に飾り付けた小さな笹竹のこと。
「実は、先ほどお隣の奥さんがうちに持ってきてくださったんです。明日は七夕だからって」
「七夕…そうか。もうそんな時期なのだな」
「はい。――こうして一さんと二人でゆっくり七夕を迎えるのは初めてですよね。明日は晴れるでしょうか」



 鳥羽伏見の戦いを発端とする、約1年半にわたった戊辰戦争が終結し、越後高田での謹慎を経た斎藤は今、千鶴と共に斗南にいた。時は明治4年7月。忠節を誓った土方と袂を分かち、会津に残留すると決めたあの日から、3年が経っていた。
 ――長くて短い月日だった、と思う。
 謹慎が明けて会津藩の斗南改易が判明したとき、斎藤は千鶴の処遇について決断を迫られた。不毛の地での貧しい生活を千鶴に強いるわけにはいかないと告げた斎藤に、千鶴は最後まで断固とした姿勢を崩さず同行を主張し続けた。
 結局、最後に折れたのは斎藤のほうだった。心のどこかで千鶴についてきてほしいと思っている部分があったことは否定できない。見た目にそぐわず、頑固なところがある千鶴は変わらない。土方と異なる道を選択すると決めたあのときも、彼女の存在が心の支えになっていた。
 ――生きる、理由。
 そういっても構わない。
 敗北を承知の上での辛い行軍にも弱音を吐かずに着いてきた千鶴は強い。そんな彼女だからこそ、この貧しい土地での暮らしの中でも、決して俯いたり振り返ったりせず、少しでも快適に過ごせるようにと、日々の生活を工夫し続けている。些細なことでも、季節が廻り、今、自分が彼女の隣に在ることを実感させてくれる。
 「短冊も用意してありますから、一さんもお願いごとを書いてくださいね」と微笑む千鶴の手を取り、己の頬に触れさせた。温かい手。血の巡る手。
(俺は、生きている)
「…ありがとう、千鶴」
 伏せた瞳をまっすぐに千鶴の目と合わせ、万感の思いを込めて告げた。
「明日は一緒に星を見ましょうね。お料理を準備して待ってます」
「ああ。仕事を終え次第すぐに帰ってくる」
 斎藤の胸の中にすり寄るように身を寄せた千鶴を抱きしめ、頬に唇を寄せるのだった。



 翌日、斎藤が帰宅すると、この貧しい土地にありながら、江戸の風習に則った料理が用意されていた。茄子のおろし和え、里芋の煮っ転がし、冷えた素麺に生姜と胡瓜を添えたつけ汁。
 当時、素麺に加えて大根、茄子、里芋、生姜、胡瓜、枝豆、西瓜の七種をとると願いを叶えられるといわれていた。
「本当は、枝豆と西瓜も準備できれば良かったのですが…すいません」
「いや、これで十分だ。昨夜書いた短冊もある。お膳立ては千鶴がしてくれたゆえ、あとは己自身の努力で願いを叶えるまでだ」
「自分で…。そうですね、私も精一杯頑張ります!」
「ああ」
 目元を緩め、千鶴に向かって頷くと、手をあわせて「いただきます」と口にしてから食事を始めた。「いつ食べても千鶴の料理は美味い」と感想を述べる斎藤に、恥ずかしげに眉を下げて謙遜する妻。穏やかで満たされた時間。それに不満はない。しかし、ふとした瞬間によみがえる光景がある。平助たちのおかずの争奪戦。ちびちびと酒を飲む沖田。呆れたように見ている土方。懐かしく、大切な思い出。
 七夕を迎えるということはすなわち盆入りを指す。これから一週間は年に一度、死者の魂が現世に帰ってくる期間だ。彼らの墓はここにはない。それでも、彼らならば、此処に帰ってきてくれるような、そんな気がする。静かな空間に、賑やかで懐かしい声が聞こえたような――。

「一さん、どうされたんですか?」
 いつの間にか箸を止めていたことに気づき、斎藤は千鶴を見た。
「…いや、盆入りのせいか、京にいた頃をのことを思い出していた」
「あの頃は賑やかで楽しい食事でしたもんね。今でも、平助君と永倉さんの掛け合いが聞こえてきそう」
 言うと、千鶴は懐かしい彼らの気配を探して目を閉じた。斎藤もそれに倣う。しばしの後、残りの食事を片づけると、二人は連れ立って外に出た。

 空には、舟の形をした弓張り月(上弦の月)が浮かび、その周りには無数の星が瞬いていた。零れ落ちて来そうなほどに。
「きれい…」
 二歩ほど踏み出した千鶴が、思わずといった様子で空に向かって手を伸ばした。いくら届きそうに見えても届くことのない星の代わりに千鶴の手をそっと包み込む。
 背後から手を伸ばして千鶴の手をとっている斎藤を肩越しに振り返りながら、ふわりと笑った。
「こんなにきれいに晴れたら、彦星さんと織姫さんも無事に会えますね」
「…ああ。今頃、年に一度の逢瀬を楽しんでいるだろう」
 さらり、と風に揺れた小さな笹には2枚の短冊。
 空と短冊を交互に見た千鶴に、斎藤はいたずらっぽく問うた。
「昨日は見せてくれなかったが、千鶴は短冊に何を願ったのだ?」
「っ、それは、お願いごとは人に言ったら叶わないから、お互いに秘密にしましょうって言ったじゃないですか!」
「人に言ったら叶わぬ、か…。では、俺が短冊を“見れば”支障はあるまい」
「そ、そういう問題じゃないです…!一さん!!」
 頬を染めて止めようとする千鶴を制し、斎藤は短冊に書かれた文字を目で追った。夫を止めきれなかった千鶴は彼の着物の袖を掴んだまま俯いている。

「――千鶴」
 呼びかけてもぴくりと肩を震わせるだけで、まだ視線を落としたままの妻を見て笑みを深めた。
「俺の願いは、この時間を少しでも長くお前と共に過ごすことだ。仲睦まじくあるのは当然のこと」
 ゆっくりと顔を上げた千鶴の頬に手を伸ばし、そっと撫でる。
「俺たちの願いは、俺たちの努力で叶えられる。末永く、仲睦まじくお前と生きていく。心配せずとも、武士に二言はない」
「――はい…っ!!」
 花がほころぶように笑む千鶴に口づけた。
 ただただ静かに瞬き続ける星屑の下、懐かしい喧騒を胸の奥に葬り進んでゆく。
 彼女との、未来へ。



(2010.08.07//47.
七夕に素麺を食べると「おこり(熱病)」にならないと言われていたそうな。二人の祝言の時期がわからないのですが、ここでは斗南に来て一年以内には挙げたんじゃなかろうかという推測の上、既に夫婦関係の二人でお送りしました。祝言の時期って随想録では明言されてるんでしょうか…?
menu