※士魂蒼穹の捏造 風千END  劇場版の土千ハッピーエンドに満足されてる方の閲覧はお勧めしません



 生きるということは、進むということだ。
 どんなに大切で、どんなに鮮烈な記憶も、時の流れの中で緩やかに思い出へと褪色してゆく。
 ――どれほど抗おうとも。




あなたは遠くの思い出にならないで





『――行くな。お前はもう、苦しまなくていい』
 五稜郭へ向かおうとする千鶴の背をあたたかな腕が包みこんだ。敗戦を重ね、旧幕府軍は本州よりも北、最果ての地まで追いこまれていた。この先に希望を見出すのが難しい戦況だということは重々わかっていた。それでも、千鶴は土方を追いかけなければならなかった。否、追いかけたかった。それだけが今、千鶴が存在する意味だったから。
 風間は崖から落ちた千鶴を助け、その願いを聞いてこの地まで守り導いてくれた。決して短くはない時間を共に過ごした。鬼としての自覚に乏しかった千鶴に鬼という種族について教え、雪村の里へも伴ってくれた。千鶴を雪村家の「頭領」として、対等に、丁重に扱ってくれた。
 その不遜な態度からは一見して分かりにくいけれども、細かなことにまで心を砕いてくれていたのだということは十分わかっていた。初めて池田屋で相対したときから積み重なっていた「最悪の敵」としての認識は既になかったといっていい。千鶴の父、綱道の手によって生み出された紛い物の鬼、羅刹を滅ぼすという明確な目的のために刀を振るうその姿は誇り高き西国の鬼の頭領そのもので。近藤なきあと、新選組のすべてをその背に負って毅然と戦い続ける土方と風間には通じるところもあったのかもしれない。
 別れる前、風間は言っていた。土方もまた、羅刹である以上捨て置くことはできない。時が来れば、土方と風間が刀を交えることになるのは必定だった。
 そして、咲き乱れる桜の大木の下、決戦の時を迎える。呼吸をすることも忘れるほどの激しい刀の応酬を千鶴はただ祈るように見守っていた。止まったかと思われた時間を動かしたのは土方だった。
 風間に競り勝った土方は、羅刹ではなく、ひとりの鬼として認められた。土方に鬼としての名を授けた西国の鬼はふたりに背を向けたのだった。


「ちづる先生、だいじょうぶ?」
 呼ばれる声にハッと意識が現実に焦点を結ぶ。
 顔を上げれば、千鶴の手の中にある巻きかけの包帯をくいくいと引っ張る幼い女の子と目があった。
「ああ、おさとちゃんごめんね! まだ途中だったわね」
 薬品の清潔な香りが満ちる部屋。千鶴の前に置かれた小さな椅子に座って足をぶらぶらさせているのは、近くの長屋に住む少女だ。病で寝込む母の代わりに煮炊きをして腕にやけどを負ったのを手当てしたのが一週間ほど前のこと。以来、毎日診療が始まる前に包帯をかえにくるよういってあった。
「もしかして……ちづる先生もご病気?」
 心配気に首を傾げて覗き込んでくる幼子に、千鶴はにっこりと微笑んだ。
「ごめんね。ちょっと考え事をしちゃっただけなの。先生、とっても元気だから大丈夫。心配しないで?」
 言って、てきぱきともう一度最初から包帯を丁寧に巻きなおした。最後に、手首を動かしやすいように調節してからぽん、と両肩に手を置く。
「はい、おさとちゃん、今日の交換は終わり! また明日の朝来てね」
「うん! ちづる先生ありがとう!」
 がらがらと音を立てて診療所の扉を開けると駆けだした背中を見送る。早朝に垂れこめていた雲は流れ、あたたかな陽射しが広がっている。ふたたび季節が移ろうとしていた。

 風間との決戦を終えた土方は、そのまま再び奉行所へ戻り、官軍の総攻撃を迎え撃った。しかし、まもなく箱館市中は官軍の手に落ち、孤立していた弁天台場に増援に向かう途上のことだ。降り注ぐ弾丸をものともせずに馬で突き進む土方に唐突に終わりが訪れた。
『土方さん! あそこを抜けたらあと少しで台場です!』
 後ろにまたがる土方に千鶴が振り返ったときだ。背に触れていたはずのひとが、さらさらと崩れ落ちて風にさらわれてゆく。残っていた服や手にしていた刀までもがとどまることなく背後にさらわれた。
 残ったのは千鶴を乗せて駆けつづける馬だけ。
 緊迫した状況下、千鶴は引き返すことのできないまま、ひたすらに馬を駆り、戦場を逃れることしかできなかった。

 そうして千鶴が江戸から東京と名を改めた土地を踏んだのは、戊辰の戦がひととおりの決着を見てからのことだった。綱道も薫も、そして土方も。家族を、頼るべきひとを失った千鶴に残されたのは、かつて綱道が営んでいた雪村診療所だけ。新選組に身を置く中で、医療に関しては実践を含め経験を積んでいたこともあり、細々と診療を再開したのが半年前のこと。父を探して京へのぼって以来、ほとんどいつも誰かと一緒にいた。ひとといることに慣れてしまった身には、ひとりずまいは静かすぎる。誰もいない家で静寂に身を浸していると、どうしても意識は内側へ向かい、記憶を反芻してしまう。だから、できるだけ忙しく朝から晩まで患者と向き合うことで前を向こうとしてきた。千鶴なりに努力を重ねた結果、最近では物思いに沈む時間も減ったと思っていたのだけれど。

「……ひじかた、さん」
 ずっとずっと、その背中を追い続けた人の名を呟く。よすがとなるものを何も残さず北の大地に散った人。思い出せばおのずと目頭が熱くなって、堪えるために空を仰ぐのが常だった。けれど。
 目を開ければ、水の膜が張ることもなく視界は明瞭なままだった。そして唐突に、記憶が思い出へと移ろいつつあることに気づいた。
「、っ」
 前を向いて生きなければならない。泣いてばかりいてはいけない。ずっと自分に言い聞かせてきたことだ。けれど、だからって。
 確かに身を焦がしたあの激情が、くぐりぬけたいくつもの死線が、ただの思い出になっていくだなんて。なんて薄情なのだろう。生きるということは過去を捨てていくことなのだろうか。
 追懐とは別の理由で込み上げてきた涙を拭うべく、手拭いを求めて立ち上がったそのときだった。
「――お前はまだ、かような場所でひとり苦しんでいるのか」
 低く愁いを帯びた声が響いた。
 しばらく聞いていなかったとはいえ、忘れるはずもない。北への旅の間、一番近くで聞いていた声だ。
「風間、さん……?」
「――久しいな」
 驚きで涙も止まっていた。しかし、風間の視線は濡れた千鶴の目元に注がれ続けている。
「……ずっとひとりで泣いていたのか」
「あの、今のはたまたまなんです」
 ごしごしと着物の袂で目元を拭おうとしたところ、風間の左手が千鶴の腕を抑えた。代わりに伸びてきた右手が頬に添えられ、指の腹がそっと涙を拭いとる。
「結局、薄桜鬼は箱館に散ったようだな」
「……はい」
「せっかくこの俺が見逃してやったというに、人間ごときに後れをとるとはな」
 嘲笑を含んだ言いように千鶴が反論しようと見上げた先には、言葉とは裏腹に複雑な色を浮かべる紅の瞳があった。
「奴は鬼である前に武士であった――ということか」
 そうだ。最後まで怯むことなく敵に向かい続けた。どんな絶望的な状況でも決してあきらめることなく立ち向かうその姿は、誰が見ても武士だった。千鶴の愛した、誠の武士。
 しばし、悼むような沈黙が落ちた。それぞれの胸に痕を残して灰になった鬼。

「今日は奴の命日だろう。箱館でこれを回収したからな、持ってきてやった」
 風間が差し出したのは、千鶴もよく知る一振りの刀だった。和泉守兼定。土方がずっとふるい続けてきた愛刀。
「これを私に……?」
「奴を悼むにも、何も残らなかったのだろう。餞別だ。とっておけ」
 震えそうになる手で、刀を受け取る。いとし子に触れるようにそっとその鞘を、鍔を、そして柄を撫でて頬を寄せる千鶴を、風間は黙って見ていた。
「……おかえりなさい、土方さん」
 移ろいかけていた記憶がほんの少し、鮮やかさを取り戻して脳裏を駆け巡る。千鶴の小通連と金打したのもこの刀だった。
 じわり。再び込み上げてきたのは追懐の涙。もう、あの日誓いを立てたひとは本当にいないのだと、頭ではなく心が理解した。その途端、堰を切って止まらなくなった涙を流れるに任せ、兼定を抱いた身を折る。漏れる嗚咽を堪えることもできず、ただただ失ってしまった過去を思った。
 抱きしめた無機質な刀に心まで冷えていく。それをとめる方法など知らない。いっそこのまま何も感じなくなるまで冷え切ってしまえばいい。どこかでそう思ったとき。

「もう苦しまなくていいと、言っているだろう……」
 掠れる音が千鶴の耳元に落ちた。自分が苦しんでいるような、痛みを孕んだ声。そして、心を凍らせることをゆるさないとばかりに背からまわされた腕。千鶴などすっぽりと包んでしまう広い胸の中、千鶴も、そして兼定も一緒に抱きしめられていた。
 ひとりで生きていくと決めた。
 だから、身を立てるために診療所を引き継ぎ、毎日多くの患者を診てきた。
 けれど。
 本当は――。

 このまま風間の胸に縋ってしまいたい衝動をなんとかおさえ、背を向けたまま波立つ感情が静まるのを待った。その間、風間は慰めの言葉を口にするでもなく、はやく泣き止むようせかすでもなく、ただ無言で体温を分け与えてくれていた。
「……永倉が生きているらしい」
 ぽつり。
 落ち着きを取り戻した千鶴にもたらされたのは、これまで知りえなかった報せだった。
「永倉さんが!?」
 向き直った千鶴に、風間は鷹揚に頷いてみせた。
「今どこにいるのかまでは掴めていないが、この東京のどこかにはいるだろう。お前が望むならば天霧に探させるが、お前はどうしたい」
「……」
 それはつまり、千鶴が望めば永倉の元へ行けるよう計らってくれるということ。ひとりで、思い出になっていくあの時代を抱えて生きなくていいということ。
 けれどそこには――。
「風間さん……は、」
「俺は西国をまとめる長として、里を人間の目から隠さねばならん。これ以上人の世に関わることはかなわん」
 人の世で生きると決めれば、千鶴とも。
 言外の意味を正確に捉えた千鶴は手を握りしめた。彼の申し出を受ければ、これを最後に風間のことも遠い思い出になっていってしまうということだ。
「っ、」
 ようやく止まったと思っていた涙が視界を曇らせてゆく。目の前のひとの輪郭がゆがむ。
「なぜ泣くのだ……」
 困惑のにじむ声。そこにまじった情は千鶴の胸にさざ波を立てる。けれど、先刻と同じように伸ばされた手が触れる前に、千鶴はその手を取っていた。
「っも、もう、」
 乱れる呼吸がことばを妨げる。千鶴は精一杯に両手で風間の手を包むように持ってその目を見据えた。
「もうっ、これ以上、思い出になるのは、……イヤなんですっ」
 陽に透ける紅葉のように紅い瞳がひたと千鶴を見つめる。真意を探るように覗き込まれる視線を祈るような気持ちで受け止めた。
「――ならば、来るか。……俺と共に」
 千鶴が欲しかった言葉が差し出される。一度は千鶴が自ら、差し伸べられた手を振りきって背を向けた。その選択を悔いたことはない。あのときあの場所に戻れるとしても、何度でも同じ選択をするだろう。けれど。
 今この場所で選ぶならば、それは。
「連れていって、くださいますか……?」
「お前の苦しみを終わらせてやる」
 包んでいた手ごと千鶴の身体が引かれ、今度こそ真正面からすっぽりと風間の胸に納まる。伝わるぬくもりに肩の力が抜けていく。
 こくり。頷くと、フッと満足げな笑みの漏れる気配がした。



(2014.04.23//Kiss To Cry
誤解のないよういっておくと、土千も好きです!好きなんですが、どうしても土方さんは近藤さんに託された新選組を背負うものとして、自分の男としての幸せを優先するとは思えないんです。千鶴ちゃんのこともすっごく大事!だけど、やっぱり武士として戦いを途中で投げ出して千鶴ちゃんと幸せになるっていうのが、土方さんの生き様としてしっくりこない。そういう意味では、碧血録のときのように風間さんと全力で戦って千鶴ちゃんの腕の中で眠るっていうほうがしっくりくるんです。私の中で。でも千鶴ちゃんにもちゃんと幸せになって欲しい→劇場版のちーさまマジイケメン!!!惚れた!!!頭領のとこにいけば千鶴ちゃんの未来も安泰よ!→ちーさまでいいじゃん!むしろちーさまがいいって!!!「行くな!!!」(※秋穂の声)
こうしてできあがったお話でした。文章書くの久々すぎてぐだぐだっぷりが酷いですがちーさまと千鶴ちゃんしあわせになーれ!!
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