case 1--ルルーシュがバスの運転手


 その夜は、駅前で集合して久々に高校の友人たちと遊ぶことになっていた。夕食も食べ終え、お風呂にも入った。オールの準備を終えた僕は、ひとり、人気のなくなったバス停へと向かう。道路脇に間隔をあけて灯る街灯の明かりをぼんやりと眺めていると、ほどなくしてバスが到着した。ここは住宅街。時刻は23時半。駅に向かうバスには誰一人乗っていないようだ。当然だろう、最終バスで自宅に帰るひとはいても、これから駅に向かうのは相当珍しい。
 前の扉が開き、ステップを上がる。料金箱に一律料金である200円を入れた。ぐるりと車内を見てみると、やはり客は僕一人。わざわざ後ろに行くこともないと思って一番前の座席に腰をかけ、ふと前を見た。運転手の名前のプラカードが目に入る。
――ルルーシュ・ランペルージ。
 きれいな名前だな。単純にそう思って、何気なく当の運転手に視線を移した。ら。
 車内の薄暗い蛍光灯のもと、浮き上がるしろい頬。頬にかかった髪は対照的に真っ黒。まっすぐに前を見据えて運転する様は凛として、近寄りがたい神聖さすらおぼえた。何か話しかけてみたくて、でもできなくて、駅までの短い時間は喉に言葉がつっかえたまま過ぎていく。
 結局、バスはどの停留所にも止まることなく走り続け、ふたりきりの空間は沈黙のままに終わる。機械の告げる車内アナウンスだけが沈黙を割って響く。
『間もなく、終点、東京駅です』
 一応降車ボタンを押すと『次、止まります』と機械がこたえる。ああ、なんだか寂しい。
 バスが停車すると、初めて機械ではない声が響いた。
「終点、東京駅です」
 低く通る声は、思った以上に心地よく鼓膜を震わせる。ぷしゅん、と音を立てて扉が開く。僕は緩慢に座席から立ち上がった。
 降りる前に、彼のほうに向きなおる。
「ありがとうございました!」
 にこり、と人好きのする笑みを浮かべて伝えると、初めて彼と視線がまっすぐにあった。
――きれいな、むらさき。
 朝焼けの空みたいな、きれいな色がわずかに細められて「お気をつけて」と心地良いテノールが紡ぐ。それだけで、僕は人生の朝が来たような晴れやかな気持ちになって、軽快にステップを駆け下りた。東京の街のネオンさえもが僕を迎えてくれているかのようだった。


 それからの僕には、毎日のノルマができた。23時半のバスに乗って駅に行っては、家まで走って帰ってくること。体力作りは健康の基礎だからね!
 毎回「料金っていくらでしたっけ」と訊いていたら、彼は僕の言葉をさえぎるようにして「200円」と答えてくれるようになったり、駅までの短い時間、他愛もない雑談を交わせたりする程度にはなりました。
「そしたら、ありがとう!ランペルージさん」
「気をつけてな。――スザク」
「っえ!?」
 ぷしゅん、と音を立てて閉まった扉の向こう、彼がいたずらっぽく笑うのが見えた。






case 2--スザクがバスの運転手


 夏の長期休暇を利用して短期集中で自動車免許を取得することにした。友人には合宿で取りにいこう、と誘われたが、そうするとナナリーの世話を咲世子さんひとりに任せなくてはならない。それは兄として譲れない一線だったので断り、周辺地域にある教習所のパンフレットを集め、その中でも送迎バスが頻繁に出ている教習所を選択した。
 昼間は暑い。いかに近くまで送迎バスが来るとは言え、そこまで歩く最中にコンクリートに跳ね返された太陽熱が容赦なく襲いかかってくる。そんな理由から、教習は可能な限り夕方から夜にかけて受けられるように手配した。
 初めての路上教習を終え、最終の送迎バスで帰路につく。送迎バスにはいくつかのコースがあって、教習生はそれぞれの家の方面へ行くバスに乗り込む。俺以外に5人ほどの教習生を乗せたバスはゆっくりと走り出した。
 なかなか難しかった路上教習のことを考え、一番前の座席に座った俺は安全走行を続けるバスの行く先と運転手の手元をじっと眺めていた。比較的近くでまとまって2人、3人と教習生が下りてしまうと、車内には俺と言葉なく走り続ける運転手だけになる。
「君はもう路上で走ってるの?」
 危なげなくハンドルをきる手を見ていたら、突然声をかけられた。
「え?」
「夜になると、無意識に対向車のヘッドライトに意識が向いて中央車線寄りになってしまいがちなんだよ」
「…そう、みたいですね。今日初めて路上に出て、同じことを言われました」
「初めてだったんだ?疲れたでしょう」
「ちょっとだけ」
「僕も初めて路上に出たときはちょっと怖かったなぁ。まわりの車は制限速度なんてお構いなしだもんね」
「そうですね」
 チカチカ、と方向指示器を出して左折すると、そこはもうルルーシュの家の近くだ。
「君は確か、このあたりだったかな?」
 振り返って尋ねてくる彼に、ようやく思い至った。ずっと白い手袋をはめてハンドルを握る手の動きばかり見ていて気付かなかった。彼はルルーシュが最後の1人になったときに、何度か家に一番近い場所のあたりまでまわって降ろしてくれていたひとだ。
「あ、そうです。ありがとうございます」
「どういたしまして。路上、頑張ってね」
「はい」


 それからも毎日同じ時間の路上教習を終えて彼の運転するバスに乗ると、他の教習生が降りたあとに言葉を交わすようになった。ふと、運転手の名前が書かれたプレートを見て珍しい苗字だな、と首を傾げていると、信号待ちで停止して俺の視線に気づいた彼が「くるるぎスザク」なのだと教えてくれた。気さくな彼が投げかけてくる質問は不快になるものではなくて、歳がそう変わらない親近感も手伝ってプライベートなことも少しずつ話すようになった。


 そして9月初頭。俺は無事に卒業検定に合格し、あとは学科試験を運転免許試験場に行って受けるのみとなった。毎日のように乗って愛着もわいてきた青色の送迎バスとも今日でお別れ。一抹の寂しさを覚えながらいつもの定位置に座る。
「ここだね」
「はい。――俺、今日で卒業なんです」
「…そっか。おめでとう」
「それで…これを、」
 小さな長方形型の紙を差し出す。そこに書いたのは名前とメールアドレス、それから携帯の番号。
「もしよかったら、すぐに本免とるので、俺の運転する車にのってくれませんか?」
「え…?」
「連絡、待ってます」
 バスから駆け降りると鈴虫の声がして秋を感じた。見上げればまんまるな月。踊る心臓、今なら月さえ掴めるような気がした。





(バスは走る、ふたりをのせて、どこまでも)






(09.09.14)