※義父スザクと小学生ルルーシュ
 元ネタはN/H/Kの某番組で紹介されていた実話から





おとうさん と いっしょ




 
 交通事故で家族を喪った遠い親戚の少年を引き取り、一緒に生活するようになってからもうすぐ一年が経とうとしていた。少年の名はルルーシュ。歳は10歳。幼いながらも、驚くべき柔軟さで新しい生活に馴染んだ彼は、とても利発で、そして礼儀正しい少年だった。独り身の僕の負担になるまいと、率先して家事を手伝ってくれるし、聞き分けもとても良い。僕としては、もう少しわがままを言ったり、甘えたりしてくれてもいいのに、と思わなくもないが、なにぶん僕は彼の――10歳の少年の父親というには若すぎる。頼りなく見えるのかもしれない。なんといっても、高校を卒業して大学には進まず、そのまま就職して2年目、まだ20歳の若造なのだ。人生経験だってそんなにあるわけじゃない。
 この歳でまだ幼い子供を引き取ることには、周囲が猛反対した。けれど、率先して引き取ろうとする者がおらず、誰が引き取るかを言い争う大人たちの背後でぽつんと正座して俯いている小さな背中を放っておけなかった。大人たちは残酷だ。こどもは、悪意のある言葉にはとても敏感だというのに。息を潜め、気配を消そうとするかのように縮こまった小さな背中を、守ってあげたいと思ったあの日の気持ちは、今も鮮明に覚えている。


 *


「ただいま!」
「おかえりなさい、スザクさん」

 仕事を終え、家に帰ると真っ先にリビングの扉を開く。漂ってくる良い香りに誘われるままに部屋に入ると、キッチンに立つルルーシュが迎えてくれる。
 スーツの上着を脱いでソファに置きながら今夜のメニューを尋ねた。
「今日はビーフシチューにしてみました」
 カッターシャツ姿になったところで台の上に立って鍋を掻き混ぜているルルーシュの隣から鍋を覗き込んだ。茶色のシチューがくつくつと煮えて湯気がたつ。
「わー、おいしそうだなー」
「もうすぐできるので、スザクさんは手を洗ってうがいをしてきてください」
「うん!ありがとう!!」
 ルルーシュに指示された通りに洗面所に向かうと、手洗いうがいを念入りにした。

 ルルーシュは料理がうまい。まだ小学生なのに、小さい頃からよく作っていたらしく、かなりの腕前だ。一緒に暮らし始めた当初は、「父親」である自分がしっかり作って食べさせなければ、と張り切ったものの、平日は帰宅が遅くなりがちでなかなかまともな食生活ができずにいた。しかし、しばらくして新しい生活のリズムにも慣れたらしいルルーシュが、平日の夕食係を申し出てくれた。小学生にそんなことはさせられない、と慌てた僕だったが、いざ出された食事を前に口をつぐまざるをえなくなった。――ルルーシュの料理は、僕よりも上手ともいえるような、立派なものだった。そして情けなくも10歳年下の彼に平日の夕食を用意してもらう生活が始まった。
 この一年弱の期間で、ルルーシュの料理のレパートリーは格段に広がった。テレビや新聞、インターネットといった手段から貪欲に新たな情報を仕入れる彼の作るメニューには飽きない。
 助けてあげようと思ったのは僕だったはずなのに、気付けば助けられているのは自分のほうだ。僕は彼に必要なことを見逃さずに守れているのだろうか。ふと湧き上がる疑問の答えは見つけられないまま、リビングに戻った。

 二人で向かい合って用意された食事に手をつける。今日のごはんもとてもおいしい。ルルーシュの料理の腕を褒めたたえ、その次には学校での生活について尋ねる。すると、彼は淡々とその日あったことを語ってくれる。そして、一通り話し終えると僕に話題がふられて、会社であったことや外で見かけた出来事を次々に話した。ルルーシュは静かに、それでも流す感じではなく、真摯に聞いてくれる。大人びた子だと、思う。他人と二人きりで生活する。その環境が、彼を否応なく大人にさせてしまったのかもしれないけれど、少しだけ、寂しいことだと思った。こどもでいることが許される時間は長くない。それなのに、ルルーシュはもっとずっと短い時間でこどもであることを捨ててしまった。――きっと、あの日、俯いて小さくなっていた背中の向こうに。



 3学期の終わりも近付いた3月の金曜日。いつもより早く仕事が終わり、足取りも軽く家に向かっていた。随分日も長くなり、まだ空は明るい。早い家からは夕飯の香りが漂い始め、こどもたちも家路につく時間。
 もうすぐ家に着くというところで、見知った桃色の髪の少女の姿が目に入った。お隣の家に住んでいる彼女は、ルルーシュと同い年だ。インターフォンを押して家に駆けこもうとした彼女を、ドアを開いた先で腕を開いて待ち構えていたらしい母親が抱きとめた。
「ユフィ!おかえり!」
「ただいま、おかあさま!!」
 微笑ましい母娘の姿。見守っていると、母親と目があった。
「こんにちは。仲がよろしいんですね」
「ああ、こんにちは。枢木さんもルルーシュくんにしないんですか」
「え…と、そうだなぁ…。してない、です」
「でも、学校から宿題で出ていたでしょう?」
「……宿題?」

 こうして僕は初めて“ギュッとしてだいすき週間”なるものの存在を知ったのだった。お隣さんから聞いた情報によると、毎年、この地域の小学校では、学年が終わる3月の1週間、家族のスキンシップやコミュニケーションを促進するという意図から“ギュッとしてだいすき週間”という期間が設定され、その間は「家族と抱き締めあう」という宿題が出されるのが恒例になっているとのこと。できた日には○を、できなかった日には×をつけて学校に提出するプリントがこどもたちに配布されているらしい。
(そんなこと、ルルーシュは一言もいってなかったのに…!)
 1週間ということは、月曜日から始まってもう5日目になる。残りは明日と明後日の週末だけだ。きっと、今日教えてもらわなければその宿題の存在すら知らずに終わっていただろう。

「ルルーシュ!!」
「あ、おかえりなさい、スザクさん」
 ただいまを言うことすら忘れて、家に駆け込んだ。まだ夕食を作りかけたところらしいルルーシュは「今日は早かったんですね」といい、また、「急いでごはんを作るので、待ってください」と続けた。まったくもって普段通りの様子で。
「ねぇ、僕は確かにルルーシュとは本当の家族じゃない。でも、こうして一緒に暮らしているからには、血は繋がってなくても、僕は君の“家族”で“おとうさん”だと思ってたんだけど……違ったの、かな」
 仕事用の鞄をぞんざいに床に置くと、キッチンに立つルルーシュのほうに向かって言葉を投げかけた。リビングとキッチンを隔てているカウンター越しに、いきなりの事態に目を白黒させているルルーシュが目に入った。
「、どうして、いきなり…?」
 野菜を切っていた手を止め、ルルーシュがこちらにやってくる。
「……ユフィちゃんのお母さんに聞いたんだ。だいすき週間の宿題のこと」
「…え、」
「家族と抱き締めあうのが今週の宿題なんでしょう?でも、そんなこと、ルルーシュは一言もいってくれなかったよね。…やっぱり、僕は君の“家族”にはなれないの、かな…」
 宿題の話をすると、ルルーシュはあからさまに動揺した様子を見せた。誰かと話すときには目をちゃんと見ることを心掛けてはいるけれど、この時ばかりは居た堪れなさに視線がだんだんと落ちていく。まだ小さい彼の足まで目線を落したところで、彼の爪先にきゅっと力が入るのが見えた。
「………迷惑、だと…思ったんです。みんな、僕を引き取るのを嫌がっていたし、スザクさんが僕を引き取ってくれることになったときも、周りの人はすごく反対していたから。でも、僕はまだ一人では生きていけないから、できるだけスザクさんの負担にならないようにしようって。もし、スザクさんに見捨てられたりしたら…もう、どうしていいか、わからない、から…っ、だから…!」
 段々と昂る感情に、ついにルルーシュがしゃくりあげた。
 それを見た僕は、半ば無意識にその小さな身体を抱き締めていた。一年程前、部屋の片隅で小さくなっていた背中にはまわすことのできなかった腕で、精一杯。
「僕は絶対、ルルーシュのことを見捨てたりなんかしない。頼りないかもしれない、信じられないかもしれないけど、でも僕は心の底から君を守りたいと思って、君を引き取ったんだ。ルルーシュさえ嫌じゃないなら、本当の家族みたいになりたいと思ってる。無理にいい子にならなくていいんだ。まだ10歳なんだから、我が儘だっていってもいいし、遠慮なんてしなくていいんだ。そうしてくれたほうが、僕もうれしい」
 ゆっくりと、ルルーシュの耳にしみこませるように一言一言を噛み締めるように口にした。垂れ下がったまま、拳を握りしめていた手がゆっくりと背中にまわされる。ちいさくて、あたたかくて、そしていとおしい、このからだ。
 しばらくふたりで体温を分け合い、ルルーシュが落ち着いたのを見計らってそっと離れた。

「宿題なんかなくったって、毎日こんな風にしたいなぁ」
 はは、と笑いながらぽん、とルルーシュの頭に手を置くと、彼はそっぽを向いて「恥ずかしい」と呟いた。


 翌朝。出かけようとするルルーシュを呼び止め、玄関先でぎゅっとしてから「いってらっしゃい」と送り出した。照れながらも拒まずに受け入れてくれるのが嬉しくて、ちいさな背中が見えなくなるまで見送っていた。幸い、今日は仕事もない。帰ってきたら、玄関先で「おかえりなさい」をしよう。それから、ルルーシュのすきなことも教えてもらって、一緒に遊ぼう。土曜日の午後を満喫しない手はない。昼食のメニューを考えながら部屋に戻った。




(10.03.24//近くにいるからこそ、見える形で伝えないといけないものもある)