に射す残照




 ハッと目覚めると、心臓がばくばくと走っていた。背中を伝う汗が気持ち悪く、指先が冷たい。窓の外を見てもまだまだ深い闇が漂っていた。
 血の、香りがしたと思った。血の香りなんて、鉄の匂いで違いなんてないと思っていた。幼い頃浴びた父の血は、その赤さばかりが目に焼き付いて、匂いは印象に残らなかった。一兵卒として働いた過程で奪った命からたちのぼる血臭は無機質だった。その後、ランスロットという鉄の腕を介して奪った命は人の死を画面の向こうの芝居に変えた。
 だから、知らなかった。人の命が最期に放つ生の香りを。仮面越しにくゆったのは、よく知る彼の生来の香りと、ひどく生々しい血の匂いだった。
 血にぬれた彼の手が仮面をなぞり、視界が曇った。あのとき、肩に感じた重みが離れていったあのとき、頭の中を巡ったのはヒマワリが咲き乱れるあの夏の日から、再会して笑いあった平和な日まで、どれも思い返せば泣けてしまいそうなしあわせな日々の記憶だった。まるで、走馬灯のように巡った記憶はどれもあたかかいものだった。
 それなのに、あれ以来鼻につくのはあの香り。脳裏に浮かぶのは剣が貫いた刹那の苦悶の表情。しあわせの名残などどこにもない。ただ冷えた終末ばかりが手を伸ばしては腕に囲い込む。
 あのとき、しあわせを赦された枢木スザクは本当に死んだのだろう。やさしい過去を全部連れて彼のもとへいってしまった。だから、今ここにいるのはただの無。見送った無の代償を払い続ける無には温度ある過去などいらないのだろう。ただ、繰り返す無の終焉だけをこの身に抱え続けて。


 朝日はまだまだ見えそうにない。こんなにも暗い闇にあっては、まったくみえない光の色を忘れてしまう。
 ああ、きみと笑いあった日々はどんなふうだっただろう。
 今となっては、そう。




君と過ごした幸せな日々が僕のでなかった証拠など、どこにもないのだから。




 きみの血を拭い去ってしまった仮面は今日も、僕に無を差し出している。







(08.11.15//cacodemonia)