あさきゆめみじ (もう浅い夢などみないときめた。君に会う資格を失ってしまった僕だから)











 彼を手にかけた日から、眠りが浅くなった。悪逆皇帝を斃した英雄に安息はない。
 僕はもう「枢木スザク」ではない。だから、ルルーシュのいる場所には行けない。あえない。


 毎夜の浅い眠りの中では、夢ばかりがとめどなく、枢木スザクだったころの僕の記憶をさらってゆく。夢の中で、彼は僕の名を呼ぶ。白い腕を僕の首に回す。あえやかに吐息をもらす。また、僕は彼の名を呼ぶ。愛をささやく。首筋にキスを落とす。
 どんなに枢木スザクはもういないと主張したところで、肉体が、記憶が存在する限り本当の無にはなれない。夢から醒めるたびに、虚空を掻く腕に絶望し、数回の呼吸をもって「枢木スザク」を殺すことから始めるのだ。毎朝殺される「枢木スザク」はもう何度死んだのかもわからない。






 目覚めると、まずは鍵をかけたクローゼットの扉を開き、黒の英雄の衣装をまとう。自動的にともる照明のもと、照らし出される真白の衣。白磁の肌と艶やかな黒髪。
「……陛下、おはようございます」
 恭しい礼をとり、傍らに置いた仮面を拝受する。おった膝を立て、まっすぐに顔をみる。動かない彼の紫水晶は感情をともすことなく視線を跳ね返した。
 再び軽い絶望をおぼえ、僕はその白い頬に手を伸ばす。さらりと手触りの良い髪が指先を通り、しかし触れた頬は弾力を持たない。薄く色づく頬も、唇も、見ている限りは生の息吹をまとっているのに、触れた瞬間硬く冷ややかな感触が無言の拒絶をつきつける。
 金さえ払えばわけありの仕事を請け負う腕利きの彫刻家をあたり、秘密裡につくらせた像は衣を纏い、血の通う肌の色と透き通る瞳をもち、見るだけならば生きているものと見紛うばかりの精巧さだ。
 その白く、艶かしくさえある首筋に唇を寄せ、瞳を閉じる。
「ん……」
 ないはずの声。
「…………え…?」
「…お前は変わらないな、スザク」
「ル、ルーシュ……?」
「ああ」
「………ゆ、め……?」
「夢ではない。だが……現実とも言えないな」
「そう……」
「でも、ここでは行きたいと思えばどこへでも行けるんだ。心にいだいたイメージがそのまま具現化する」


 ルルーシュが黙って腕を伸ばし、僕の目を覆った。次に塞がれた視界が開くと、そこにはローソクのたてられた小ぶりのホールケーキ。いつの間にか僕はテーブルに備え付けられた椅子に座っていて、手を引いたルルーシュも隣の椅子に腰をおろした。
「今日は7月10日だろう?……誕生日、おめでとう、スザク」
 事態についていけずに瞼をパチパチさせていると、苦笑したルルーシュがローソクの火を指差した。
「ほら、早く吹き消さないと蝋がケーキに落ちるぞ?」
「う、うん……!!」
 すぅっと吸い込んだ息を勢いよく吹くと、橙に揺れる炎は小刻みに震えて消えた。立ち上る煙の匂いがどこか懐かしくて、言葉を失う。
 ルルーシュが半分に切り分けて皿に載せてくれたケーキを口に含むと、爽やかなイチゴの酸味とほどよい甘さの生クリーム、ふわふわのスポンジが絶妙に溶け合っていく。
「おいしい」
「そうか?」
「…うん。ルルーシュの手作りの味だ」
 ああ、なんだかとても、目元があつくて視界が歪んでしまいそうだ。慌てて上を向いて溢れそうなものを押し止める。
 目に入ったのは見覚えのある碧。戦争の影が飛んでいく。小さな手をとって走っていたあの日。
 時間を遡っているのか。隣を振り返ると、そこは一面の焦土。でも、そこにいるのはナナリーを背負う小さなルルーシュではなくて、うつくしく成長した彼。
「折角の誕生日なんだから、もっと他に見るものがあるだろう?」
「…………」
 ずっとずっと、何度も彼の細い身体を貫いた場面を見てきた。枢木スザクのしあわせはなんだっただろう。今朝、僕が殺した僕なら知っていたのか。それとも昨日殺した僕?それとも一ヶ月前の僕?――わからない。
 考えていると、まっすぐに続く道と立派な車が現れた。一際高い場所には真っ白な皇帝装束のルルーシュ。
「……仕様のないやつだな、お前は」
 苦笑する彼の前に立った自分の手には朱(あけ)に染まった剣。
「……ッ!!」
 寄りかかってきた彼を抱き締める腕を持たず、仮面の内で涙する。涙を拭うように仮面をなでる彼の手は鮮やかすぎる紅だけを遺して落ちてゆく。もう、数えきれないほど繰り返した場面だ。


 ルルーシュの願いが僕の死を妨げる。だから死にたいとも生きたいとも思えない僕はいまだにただ呼吸を繰り返している。
「スザク、」
 しかし、何度となく落ちたはずの彼の腕が、ゆっくりと確かな力をもって僕の身体を抱き締めてきた。
 戸惑っていると、仮面越しに頬を撫でるはずの彼の手がそっと仮面を奪い去る。
「…ルルー、シュ……?」
「……この仮面は俺だ。俺がゼロを生かし、俺がスザクを殺した」
「……」
「お前は俺の剣だった。今度は俺がお前の盾となって“枢木スザク”を守る。だから、 …………生き続けてくれ」
 天命の尽きるそのときまで。
「お前にしあわせがわからないなら、俺から贈る俺の“しあわせ”を受けとれ、スザク」






 振り返ったそこには、眩しいほどにきらめく光の下、見渡す限り咲き乱れる太陽の花。ひまわり。さわり、と吹き抜けた風は太陽の香りがして、繋がれた掌はどこまでもあたたかい。
「ルルーシュ、」
「俺は、おまえと過ごしたあの夏、しあわせだったよ」
 繋がれた手を何の疑いもなく信じて握り返したあの日。その手があれば、どんなところにだって行けた。進めた。
 太陽の香りを吸い込んで空を仰ぐ。照りつける光にクラリと視界が白く染まった。


 ――ドーン!
 地響きのように身体の底まで響く音がする。取り戻した視界には濃紺を背に咲き乱れる色とりどりの花。
「花火…?」
「みんなでまた花火を見るのが楽しみだったんだ。もう、俺には果たせない約束になってしまったが…」
 どこか自嘲の色を帯びた笑みを口元にはくと、ルルーシュはそのまま空を見上げる。大輪の花は咲いた瞬間から夜闇に溶けて消えてゆく。はかなくてうつくしい。まるで、彼のようだ。七色の光に染まる横顔。
「大丈夫、君は約束を果たしてくれたよ」
「…」
「ナナリーも会長さんも僕も、みんなで新しいアッシュフォードの校舎で花火を見た。君が準備しておいてくれたんだろう?」
「……でも、」
「みんな君を忘れていない。だから、君と一緒に見ていたんだ」
「、」
「それに、今も僕と一緒に見てくれてる。ありがとう。君のしあわせは…やさしいな」
 繋いだままの手とは反対の手でそっとその頬に触れる。毎朝挨拶していた“彼”にはなかったあたたかさと柔らかさが手に馴染む。そのままゆっくりと瞳を閉ざしながら距離を縮め、くちづけを交わした。
 枢木スザクのしあわせがよみがえって胸の奥が震えた。しあわせは殺せやしない。生きている限り。
(ありがとう、)








 意識が戻ったときには、変わらぬ姿の陛下。しかし、見上げたスザクには彼の口元がわずかに微笑んでいるように見えた。


『七夕って何だ?』
『彦星と織姫が、一年に一度だけ、天の川をこえてカササギの橋の上で会うことを許された日なんだ』
『一年に一度?』
『そう。ふたりはその日のために毎日一生懸命働いて生きているんだって』




 あさきゆめみし朝、僕はしあわせのかけらを拾った。




(09.07.12//遅刻したけどお誕生日おめでとうスザク!!//NEO HIMEISM