セピアの接触

最近、よく夢を見る。











俺は元来そんなに夢を見ない。いや、きっと見てはいると思うのだが、目が覚めると同時に大抵忘れる。よほど印象に残った出来事だけが淡い残像のように脳裏に根を下ろし、細く長くかすかに残る。それだけだ。

そもそも俺は夢などという曖昧で不確かなものがあまり好きではなかった。突拍子もなく秩序も道理も飛び越えた出来事が展開されるとき、ありえないことだとわかっているがどうも脳を他人に掻き回されているような奇妙な感覚を覚える。──単に自分の夢想の飛躍を否定したいだけかもしれないけれど。

以前『夢に知らない人や知らない場所が出てくるのは前世の記憶と繋がってるからじゃないか』などと摩訶不思議なことを言う知り合いがいた。そのときの俺は本気にせず、鼻で笑って済ませたが、今の俺はどうだろう。そんなことあるはずがない、と全力で否定したい衝動に駆られている。

でも実際は、なんとなくわかっている。心の奥底で認め始めている。
哲学的なその諸説を拒む一方で俺は、すんなりとそれを受け入れているのだ。



最近、よく夢を見る。その夢たちは、普段見るものとはなんとなく感じが違う。

膜で覆われたかのように曖昧で不確かなはずのその世界で、俺は自分がそこに『在る』ということを強く感じる。空気、音、匂い、肌触り、どれをとってもまるで現実のようにリアルで、けれどこれは夢だということがはっきりとわかる。不思議な感覚だった。

そしてその夢たちには共通して、いつも同じ人物が登場する。
栗色の癖毛に大きな翡翠色の瞳持つ彼。淡い懐かしさを覚える、彼。

──名前は、枢木スザク。



スザクは、2ヶ月程前に同じクラスに転入してきた編入生だ。

俺の通っているアッシュフォード学園は立地こそ日本にあるものの、経営はブリタニア人のため、生徒数は圧倒的にブリタニア人が多い。それでも日本人が入学することも珍しくないから、スザクは学年の途中から入ったにも関わらず、たいして悪目立ちもせずにクラスに馴染んだ。人懐っこい笑顔が功を成したらしく、友達もすぐにできていた。

ただ、俺自身はスザクと話したことはほとんどない。俺の友人たち──リヴァルやシャーリーなんかは持ち前の明るさを発揮してよく談笑しているが、その輪に俺が加わるときはスザクはあまり口を開こうとしなかった。何故かはわからないが、意図的に俺を避けているようにも見えた。

でも、覚えている。スザクは転入してきたその日、皆の前で自己紹介を済ませて席につくとき、はっきりと俺を見た。静かなその翠色で射抜くように強く、じっと。その瞬間、俺たちの周りの世界はすべてセピアのように色を失って、ただ彼だけが鮮やかな姿で目に灼きついたのをたしかに覚えている。

曖昧で不確か。けれど俺もスザクから目を離せなかった。
生まれる前から知っているような懐かしさを、このときたしかに感じた。
それから俺は夢を見るようになった。とても不思議で、でもあたたかな夢を。






気がつくと俺はどこかの河原に立っていた。

──ああ、またか。そう思ったが、今日の夢はなんだか少し違和感があった。辺りは薄暗く、夜らしい。周りを見渡すとたくさんの人々で溢れかえっているのに、彼らは白黒の静止画のように色がなく、動きもない。何も聞こえない。声も呼吸も何もかも。

時間が止まったかの如く静かだった。セピア色の人々は何かを待つかのように夜空を見上げたまま静止している。目の前の川を覗き込むと、やはり水は止まっていて流れてはいなかった。川の上で小さなコウモリが宙に止まってきた。

ここはなんだ。そう思ったとき、横から声が聞こえてきた。

「みんな、待っているんだ」

いつも夢の中で聞く声だった。現実で聞くことはあまりないのに、不思議と落ち着かせてくれる声。懐古、郷愁、安心感。そんな言葉が似つかわしい、でもどこか寂寥感も感じさせる声。

色褪せた雑踏の中に、そこだけ切り取ったような鮮やかさをのせた姿が見えた。
横顔は、こちらを見てはいない。群衆と同じように夜色の空を見上げている。

「…待っているって、何を?」

スザクは顔を動かして俺を見たが、問いに答えようとはしなかった。ただ薄く微笑んでいる。学校では見ることのない笑みだった。クラスメイトに見せているような快活な笑顔ではなく、声と同じどこか寂しそうな微笑。

何故だろう。スザクが哀しげだと俺も哀しくなる。寂しくなる。苦しくなる。
これは夢なのに。目が覚めれば、この哀しさは虚しさにとって変わるのに。

「君はやっぱり、ルルーシュなんだね」

言っていることはよくわからなかったが、スザクに名前を呼ばれるのをひどく嬉しいと感じた。夢のあとに待っているのが虚しさだとしても、嬉しかった。俺が微笑むと、スザクの笑みが少しだけ柔らかくなる。寂しさが抜けて、なんとなくあどけなくなる。

「君に出逢えてよかった、ルルーシュ」
「…スザク?」

なんだろう。何故急に今生の別れみたいなことを言うのだろう。

「──もうすぐだ」

そう言ってスザクは再び空を見上げた。漆黒の帳を。停止した星天を。
つられて俺も夜空を見上げる。帳いっぱいの、瞬かない光の粒たちを。

「君がこれを、僕と見たいと思ってくれていたことが嬉しい」

スザクがそう言ったとき、かすかな風が頬を撫でた。

動き始める空気にのせられるようにして、音が呼吸が気配が戻ってくる。ボリュームを大きくしたみたいに次第にはっきり聞こえ始める。喧騒、衣擦れ、川の流れ、コウモリの羽音。それまで白黒写真のように動きのなかった世界が呼吸をし始める。

そして、尾を引くような甲高い音がしたかと思うと、ドオンと大きな音を立てて夜空に花火が咲いた。

「………」

わあっと一際喧騒が大きくなり、周囲が色めき立つ。
花火は続けて二発も三発も上がり、振り撒かれた光で辺りがぱっと明るくなった。

「…スザク?」

けれど、さっきの場所にもうスザクの姿はなかった。名を呼んだ俺の声はざわめきと空を穿つ轟音に掻き消された。色を取り戻した世界のどこにもスザクの姿は見えず、ただ声と言葉だけが名残惜しく脳を駆け巡った。

『君がこれを、僕と見たいと思ってくれていたことが嬉しい』

──そうだ。俺はこれを、おまえと見たかったのに。スザク。ずっとずっと、待っていたのに。

どうしてかそんなふうに思い、そしてふいに涙が意図せず落ちた。
夢の中でも泣けるんだな、などとぼんやり考えて、ゆらゆらとスザクの声を反芻して辿った。

もう一度、大輪の花が咲き誇る空を見上げた。とても美しい光景だったが、溢れ出る涙で視界がぼやけて、ほとんど輪郭しかわからなかった。先程までは自分とスザクだけが色を持ち、周りはすべて色がなかった。でも今は、スザクのいない今は、溢れる色彩の中で俺だけが色褪せた存在だった。

──スザク。






翌日の学校で、スザクはいつも通りだった。

俺のいないところで話し、笑い、当たり前の日常を送っている。スザクは一度も俺の方を見なかった。思えばスザクがはっきりと俺を視界に入れて目を合わせたのは転入初日のあのときだけだ。それ以来彼は、稀に話すことがあっても決して俺を見てはいなかった。

スザクは俺にとってどういう存在なんだろうか。よくわからない。わからないけれど、どこか懐かしくて、夢に見るほど焦がれている。それだけはたしかで、同時にそれがすべてだという気が、した。だが。

スザクにとっての俺はどういう存在なんだろうか。──それも、わからない。



昼休みに生徒会室に寄り、教室へ戻る途中ぼんやり廊下を歩いていたら、前方からスザクがやって来るのを見つけた。何をするというわけでも、どこへ行くというようにも見えず、ただ手持ち無沙汰そうに窓の外を眺めながら歩いている。

スザクはやはり俺の方を見てはいなかった。何故かそれがひどく、哀しかった。
視線が合わないまま、すっと擦れ違う。途端に脳裏に、独りきりで見た色鮮やかな花がちらつく。

「──あの、」

気がついたら声をかけていた。スザクはぴたりと足を止めて、ゆっくりと振り返った。
それまで俺を視界に入れてなどいなかったのに、驚くほどじっとこちらを見ている。
強い翡翠の視線に耐えられなくて、俺は俯いた。俺は何故、スザクに声をかけたのだろうか。

あんな夢を見たからだろうか。現実では避けられてすらいるのに、夢の中のスザクはやさしくて寂しげで、俺に微笑んでくれるから。文字通り、俺は夢の見すぎなんだろうか。自分の夢想と現実を重ね合わせて、何かを期待しているんだろうか。

スザクは俺にとってなんなのだろうか。俺はスザクにとってなんなのだろうか。

「──もうすぐ、」

ふいに聞こえてきたスザクの声に思わずぱっと顔を上げた。──もうすぐ。それは夢の中のスザクと同じ言葉だった。彼はもう俺を見てはおらず、窓の外を眺めていた。横顔が陽に照らされて、栗色の髪の端が透けて見えて、ひどく眩しかった。

「もうすぐ、花火大会があるね」

翠色した両の眼が光に色を変えながらこちらを向く。
大きなそれを引き絞るように眇めて、スザクは微笑っている。

「君と一緒に見に行きたいな──ルルーシュ」

微笑んでいる。夢の中のとは違う、柔らかく満足そうな笑みで。



光が、色が弾けた。洪水のようにそれは溢れて、俺の、俺たちの世界を隅々まで満たした。
セピアに雪崩れ込む色という色。眼前の褪めた景色が流れるように変わっていく。

俺は泣くことを止められなかった。それは感情によるものではなく、もっと奥深いところで流す涙だった。伸びてきた手、かさついた指の腹にゆっくりと眦を撫でられて、抑えきれない歓喜が水滴と一緒に溢れ出る。零れ落ちる。溶け消える。

「…おまえがそれを、」

掠れている上に震えて今にも嗚咽になりそうな声を、どうにか唾を飲み込んで落ち着かせる。

「俺と見たいと思ってくれていることが…、嬉しい」

スザクは、微笑っていた。どんな不可思議な出来事も今はどうでもいいと思えた。スザクがいて、俺がいる。それで充分だった。スザクがどんな存在でも、俺がどんな存在でも、夢にどんな意味があっても、今はもうどうでもよかった。

微笑み返す。ただそれだけで嬉しい。スザクに(また)出逢えたことが、スザクと(今度こそ)一緒にいられることが、嬉しい。見つめると、今度はスザクの方が泣いていた。顔をくしゃくしゃにして溢れる涙を精一杯堪えている様子はお世辞にも綺麗とは言い難かったが、愛おしかった。俺も指を伸ばして眦から頬にかけて拭ってやる。あたたかかった。

鮮やかな空気の中で、こうしてスザクに触れていること、スザクの涙を掬ってやれていることを、とても幸せに思った。手の届くところにいる、すぐ傍らに在る。微笑っている。泣いている。当たり前のようで、けれどいつかは手にすることができなかった。とても眩しくて、とても恋しい。

──俺が焦がれ続けた、やさしい日常なのだと。




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ルルーシュ一周忌記念企画『きみはいま、』様に提出させていただきました。
しあわせなスザルルを、ということだったので、それらしく見えてればいいのですが…^^
いつかまた二人は出逢って、ごく当たり前の平穏な日常を掴んでくれたらいいなあと思います。
主催者の秋穂もゆ様、素敵な企画をありがとうございました!

2009/09/28  昴/七日椿