わが親愛なるれんぼう









目に痛いくらいに白い壁がどこまでも続いている。回廊を歩く男の姿は周囲とは正反対に全身を黒に覆われており、やけに鮮明に浮かび上がった。病院然としたこの場所にはいささか不似合いな姿と言えよう。
それでも彼の足を止める者は一人たりとも現れない。そもそも、長い廊下には彼の他には誰も存在していなかった。
消毒液の持つ独特な匂いが仮面を通り抜けて男の鼻を擽る。

静かだ。この場所はあまりにも静かだと思う。
まるで世界から切り取られたかのように静寂で満ちている。事実、ここは世界中の視線には決して晒されない場所。晒されてはならない場所なのだ。










あの日、彼の舞台は幕を閉じた。
多くの犠牲を道連れに。世界の悪意を一手に背負って。










白い回廊の突き当たりには両開きの扉が待ち構えていた。さながら城を守る門扉のように堅く閉ざされたそれは、やはり押して開くような易い代物ではない。隣にはめ込まれたパネルを操作し、男は慣れた手順でロックを解除していく。

カメラがこちらを向いている。虹彩認証だ。
要求に従って仮面の一部を開けると、その奥の翡翠に浮かぶ皺の模様が読み取られていく。
かつてこの仮面の持ち主だった彼が施した開閉ギミックが思いがけず役に立っている。

ほとんど音を立てることもなく、厳重な守りを解いた扉が左右に開いた。隔たりの向こうにはあっけないほど普通の生活空間が広がっていた。
病室とは程遠い。この部屋を初めて見るものはそんな感想を抱くことだろう。
アイボリーを基調とした壁には品のよい装飾が施されており、壁沿いには本棚や机が置かれている。二人掛けのテーブルセットは質のいい木製で、天板にはチェスボードが乗せられていた。それでも、部屋の中央に備え付けられているのはベッドであるし、部屋の主はそこに身体を横たえているのだから、ここはやはり病室なのであろう。

「また、来たのか。」

出迎えの言葉は仮面の男の来訪を喜んだ風でもなく、かといって疎んでいるわけでもない。そんな声色だった。
ただ、何故かわからない。何故、男がこうも頻繁にここを訪れるのかがわからない。純粋にそんな疑問を含んでいた。

「こんにちは、ルルーシュ。何か変わりはないかい?」

仮面の男はあくまでも自然に問いかけた。それはあまりにも自然な、仮面を纏わない素の彼自身の言葉だった。

「見た通りだよ。何もない。」

そっけない返事を聞いて、男は「そう」と呟いた。変わりがないことを喜んでいるのか、悲しんでいるのか。ただ、顔を見ることができて安堵した。言葉を交わすことができて安堵した。そんな曖昧な調子だ。

この部屋の側面には窓が一切ない。その代わりに天井は一部ガラス張りになっていて、そこから太陽の光が射し込んではルルーシュの横顔に繊細な影を落とす。
ルルーシュは無言のままだ。何かを考えているようにも見えるし、どうしたらいいのか戸惑っているようにも見える。
不思議でならなかったのだ。どうして、この男は自分の元へ何度も何度もやってくるのか。それが理解できなくて腑に落ちなくて、どうにも居心地が悪い。
彼がやって来る度に会話をするようになった。彼が世界中を駆け巡っているらしい話も聞いた。そんな多忙な人間がどうしてわざわざ自分へ会いにくるのだろうか。
わからない。わからない。
ルルーシュは何度も聞いた質問を今日もまた繰り返す。

「どうしてお前は俺に会いに来るんだ?」

そして、この質問へ返ってくる答えはいつも決まっていた。

「・・・会いたいから、じゃ駄目かな。」

仮面の下で男は決まって自嘲気味に笑っている。だから、ルルーシュにはそれ以上追求することがなかなかできないのだ。
なんとなく、そのまま会話を続ける。大抵は男の土産話だった。世界中のいろいろな所の話。綺麗だった景色の話。美味しかった食べ物の話。或いは男の身近な人物の話。
そんな話をただ受動的に聞く。それがいつもの流れだった。

今日もいつものようにそうやって時間が流れていくのが当たり前だと思っていたから、男は一瞬返答に戸惑ってしまった。

「その仮面、外したらどうだ?」
「え?・・・っと、」

心臓が大きく跳ねたのが手に取るように自覚できた。焦りを悟られまいと取り繕ったものの、それは効果がなかったらしい。むしろ、逆効果だ。

「いや、いつもそのままだと暑いだろうと思って・・・。」
「これは・・・外せないんだ。」
「どうして。あぁ、素顔を見られたくないのか?」
「いや、そういうわけではないんだけど」
「なら、なんで・・・」

一瞬の間があった。仮面越しに見えないはずの視線が交差したような気がした。

「約束したんだ・・・大切な、人と・・・」
「約束?」
「そうだよ。だから、僕はこの仮面を外すことはできないんだ。」

そう。他でもない君と約束したんだ。
俺は仮面の男ゼロで、枢木スザクとして生きることはもうない。
あの時、そう誓った。だから、たとえ相手が君だとしても外すことはできない。
君はルルーシュで、ルルーシュじゃない。
彼はあの日、世界の明日と引き換えに死んだのだ。他でもない、俺が殺した。
だから、彼はもういない。目の前にいる君は彼じゃない。
けれど、俺は本当は何を望んでいる?今、望んでいることは何だ?

振り切るように頭を横に振って、男は腰掛けていた椅子から立ち上がった。

「ごめん、そろそろ時間だ。」
「そうか。」
「また来るよ。」

そう残して男は再び白い回廊へと消えていく。その後ろ姿を見送って、ルルーシュは静かに視線を落とした。










いつだっただろう。君はこう言ったことがあったね。
俺は奇跡を起こす男だ、と。
君にならできるんだ。
君だけなら無理でも、君と僕がいれば奇跡は起きる。










それは正しく奇跡だった。刃は貫通していたし、出血量は夥しい程だったのに。

ゼロレクイエムは完遂せねばならなかった。

剣の先が君の身体を通り抜ける感覚を僕は未だに覚えている。
君は僕にとって憎くて愛しくて許せなくて大切だった。
そして、僕は君を信じていたし、君は僕を信じていた。

だから、ゼロレクイエムは完遂せねばならなかったし、僕達にはやり遂げる覚悟と信頼があった。

それでも、僕はその知らせを聞いた時、喜んでしまったよ。
一度は心の底から殺したいと思うほど憎んだ男だというのに。
君が一命を取り留めたという知らせが僕は本当に嬉しかった。

たとえ、僕のことも何もかも覚えていないとしても。










奇跡など、この世界には存在しない。
あるとしたら、起こるべくして起こる奇跡だけだ。
いつかお前は俺に言ったな。
君は奇跡を起こす男なんだろう?と。










「もう、ここには来るな。」

あまりにも唐突な拒絶だった。それ故に仮面の男は呆然と立ち尽くすしか術がない。
視界の先にはベッドに腰掛けたままのルルーシュが俯き気味に頬に睫毛の影を落としている。元々色白の肌が室内で過ごしているせいで余計に白くなった。けれど、頬にかかる黒髪も高貴な光を宿す紫紺の瞳も彼を彩るものは何一つ変わっていない。
彼は紛れもなく、ルルーシュだった。

「・・・急に、どうかしたの?」

すぐに返答はない。少し言葉を迷うような沈黙を置いて、ルルーシュはゆっくり息を吸う。
静かな空間に呼吸の音だけがいやにリアルに響いている。妙な緊張感を破って、吐き出されたのは一瞬のことだった。

「迷惑なんだ。」

少し困ったような表情で、彼は淡々と言った。
「それに、俺に会いに来るような暇なんてないだろう?」とルルーシュは続ける。

「なんで、急にそんなこと・・・」
「ずっと我慢してたんだよ。もういいだろう?帰ってくれ。」

取り付く島もない。鋭い視線には懐かしさすら覚える。
訳がわからなかった。どうして、いきなりこんなことを言い出したのか。

嫌だ。帰りたくない。会えなくなるのは嫌だ。
なら、どうしたらいいのか。どうしたいのか。
君と一緒にいたい。君が生きていてくれて嬉しい。
けれど、それをどうやって伝えたらいいのだろう。
君は僕のことを覚えてすらいないのに。

依然としてルルーシュの冷たい視線はまるで仮面すらも打ち砕くような鋭さで男に向けられていた。
記憶を失ったままの彼と得体の知れない自分が一緒に過ごすこと自体が夢物語だったのだろうか。

「・・・わかった。今日はもう帰るよ。」

肩を落として男は部屋を後にする。他にできることはなかった。
彼はルルーシュであって、ルルーシュではない。
記憶がないということは絆も信頼もないということだ。
ただ生きていただけで嬉しかったのに、それでは足りないと心のどこかで思ってしまっている。
これ以上何を望むというのだ。いったい、どうしたいというのだ。



*****




これでいい。スザクは過去に囚われていてはいけない。
他でもない俺が仮面を背負わせたのに、さらにスザクは過去の亡霊に捕らえられている。
ゼロレクイエムは完遂した。俺は世界から消えた。
俺自身の生死など関係ない。それは些末なことに過ぎない。
だから、俺はスザクからも消えなければならないのだ。

お前が俺を殺す。
それが俺達の約束だったはずだ。

記憶はとうの昔に戻っていた。



*****




晴れ渡る空の下を涼しい風が通り抜けていく。あの日もこんな清々しい天気だった。
ゼロレクイエムから一年。
スザクが仮面の中から広い空を仰ぎ見ている頃、ルルーシュは天窓いっぱいの空を見上げていた。

そろそろこの場所に別れを告げてもいい頃合いかもしれない。
良くも悪くも記憶は戻っていたし、傷も最新医療のおかげか差し支えない程まで治癒していた。
これ以上、スザクの中に俺の記憶を引き摺らせるわけにはいかない。
もうこの場所に留まるのも潮時だろう。

しかし、ルルーシュが扉を開く前にそれは彼によって開かれた。
いつもと同じ、黒いマントに身を包んだ仮面の男。それはかつての自分が築き上げた奇跡、救世主の姿だ。

それが。
世界を導く男がどうしてこんなところにいる。何をしている。

「もう来るなと言ったはずだ。」
「そうだね。でも、今日は違うんだ。」
「違う?何が、」

スザクは今までずっと戸惑ったまま俺に接していた。
無理もない。殺したはずの男が生きていて、挙句に記憶を失っていたのだ。
いっそ、会いになど来なければよかったのに。
そうしたら、お前は俺から逃れられたのに。
俺は過去の遺物なのだ。死んだ存在なのだ。
明日を作るゼロの世界にルルーシュがいてはならない。

だから、もう来るなと言ったはずなのに。
俺が渡した仮面を被っていても、お前は相変わらずお前なんだな。
馬鹿だ、どうしようもない大馬鹿だ。

そんなことを仮面の下から零れ落ちた柔らかな栗色の髪を眺めながら考えていた。
痛いくらいに真っ直ぐな視線がルルーシュを正面から見据えている。
その瞳には確固たる意志が秘められている。力強い、淀みのない視線だ。

「・・・いいのか?約束、していたんだろう?」
「あぁ。君と約束していたよ。」
「俺と・・・?」
「ルルーシュ。君、記憶が戻っているんだろう?」

一瞬、息を飲みそうになる。だが、大丈夫だ。このくらい、いくらでも誤魔化せる。
何を馬鹿なことを言っている。そう言うつもりだったのに、不意打ちのせいで不発に終わった。

「なっ!?お前、」

苦しい。それどころか痛い。
抗議の声は無視どころかスザクの耳に届いていないらしい。気付いた時には思い切りスザクの腕に閉じ込められていた。
久しぶりに感じるスザクの体温はあたたかくて、油断すると心まで溶かされてしまう。
けれど、そんなわけにはいかないのだ。そんなわけには・・・。

「離、せ・・・俺は・・・」
「君が嘘吐きだってことは、僕が一番よく知ってるんだ。」
「馬鹿を言うな!」
「相変わらずなんだな。いつも僕に馬鹿馬鹿言って・・・君は、本当に・・・」
「おい、スザっ・・・っ!?」

完全に失態だった。いったい誰がスザクと名乗った?
誰も名乗ってなどいない。つまり、自ら記憶が戻っていると示したも同然だ。
それでも、スザクはそんなことなど気に留めずにぼろぼろ大粒の涙を流していた。

「ルルーシュ・・・良かっ、・・・生きてて・・・」
「スザク・・・」

もう、誤魔化すつもりはない。
けれど、駄目だ。もし、この背に手を回したら、きっともう駄目なのだ。

「なぁ、スザク・・・。俺はこの世界から消えたんだ。死んだ人間なんだよ。」
「生きてるじゃないか。心臓が動いている。身体だってあったかい。」
「そうじゃない。そういうことじゃないんだ。」

肩に手を当てて、ゆっくりとスザクの身体を引き離す。
どうして?と言いたそうな瞳が心に痛い。
嬉しくないと言ったら嘘になる。心が動かないわけがない。

「スザク、俺達はゼロレクイエムを成し遂げたんだ。そして、俺はお前から枢木スザクであるということを奪った。」
「僕は君の、命を奪った。」
「・・・けれど、俺は生きてる。」
「でも、世間的には君は死んだことになってるじゃないか。」

だから、何も問題なんてないよ。
そう言いかけたスザクに向かってルルーシュは首を振る。

「俺が許せないんだ・・・。お前に全て背負わせて、それなのに俺は生きてる。その上、お前の傍にいるなんて・・・俺自身がゆるせない。」

哀しく笑うルルーシュをスザクは静かに見つめていた。その瞳は甘くもなければ悲観的でもない。ただ、そこには変わらない強い光だけが宿っている。

「ルルーシュ・・・君は馬鹿だ。」
「何・・・?」
「僕は君の前では枢木スザクでいられる。君もここでは生きている。」

そして、差し出されたのは世界を背負った重たい仮面だった。

「また、二人でやっていけばいいじゃないか。君がここにいるなら、この仮面は僕だけのものじゃない。君と僕で背負うんだ。」
「スザク・・・お前・・・」
「ルルーシュ。俺と・・・枢木スザクと一緒に、生きてくれないか。」

一緒に、生きる。
それはあの時決して選ぶことができなかった道。
互いに自身に決して許すことのできなかった道。
けれど、本当はそれを求めていたのかもしれない。

仮面の上で二つの手が重なる。今度こそしっかりと二人の視線が交わった。
掌があたたかい。心までもが久しく感じたことのない温もりに溢れていた。

瞼の奥が熱い。上手く言葉が紡げない。やっと出てきた声はすっかり掠れていた。
何と言えばいいのかわからなかった。それでも口を突いて出たのは一言。

「・・・ありがとう、スザク。」

ほんの小さな呟きのような声だったが、その言葉を合図にスザクは勢いよくルルーシュを抱き締める。
仮面がぽふっ、と音を立ててシーツの上に転がった。

「痛いだろうがっ、この、体力馬鹿!」
「久しぶりに聞いたよ、そのセリフ。」
「そんな嬉しそうに言うようなことか!って、おいっ!!」

勢い余ってベッドの上に倒れ込むとぐらりと平衡感覚が狂う。
至近距離で見つめあって、少しの沈黙。視線を逸らそうとしたルルーシュをスザクは決して逃がさない。
一年ぶりのキス。

そうだ、こんなに愛しいのに。あの日からずっと忘れていた。

生きているということ。
愛しているということ。

天窓の向こうに広がる青空が昨日までより、きらきらと輝いて見えた。
仮面の重さは依然として変わらない。けれど、一人で持つわけじゃない。

二人でならばできないことなんてない。昔からそうだったではないか。










ねぇ、ルルーシュ。一年後の僕らはどうしているんだろう。

さぁな。わかるわけないだろう。

そうだ、いいことを思いついた。手紙を書こう。

一年後の俺たちに?・・・お前らしい発想だな。

ほら、ルルーシュも。便箋とペン。

俺も?・・・まったく、仕方がないな。



『きみはいま、          』




















もゆさん主催のルルーシュ一周忌スザルル企画へ提出させていただきました。
普段スザルルは読み専でして、畑違いで活動している私ですが参加させていただくことができて嬉しい限りです。
9月28日には素晴らしいスザルル小説が一気に読める!ということで楽しみでなりません。
あれから一年ですがギアス熱は一向に冷める気配がありません。いつまでも大好きです。
拙筆ながらここまで読んでくださった皆様、そして企画主催のもゆさん、どうもありがとうございました。

20090927 姫宮リン拝