一足ごとにきし、きし、と軋みをあげる古い階段をのぼった先には、低い天井の空間がぽっかりと現れる。明かりとりの小窓もステンドグラスになっていて、そこから差し込む光に舞い散る埃さえもがきらきらと輝いていた。そこは僕たちの聖地。ふたりだけの、秘密基地。
 村のはずれにぽつんとたたずむ教会は、使われなくなって久しい。白い壁、なないろの光を落とすステンドグラス。閉ざされた扉を開けて中に入ったのはただの気まぐれだった。
「ルルーシュ、ここがどうしたんだ?」
「奥の方に階段がある。屋根裏に続いてるらしいんだ」
 階段の上までのぼったのはこのときが初めて。突然の闖入者に舞い上がった細かな埃が、なないろのガラスを通した太陽光にきらきらと光る。先日、スザクの家の蔵で見つけた万華鏡からのぞく色の洪水に似て。
 しばし言葉を失ってその光景を見ていたが、スザクのくしゃみで我にかえった。
 ぐるりと見回せば、脇に小さいながらも開閉可能な窓があることに気づいた。あまり埃をたてないよう、そっと近づいて窓を開ける。
「スザク、大丈夫か?」
「あー、俺は大丈夫だ!!」
 ぐい、と腕で鼻の辺りを擦ると、スザクはうろうろと周囲を探検しだした。
 やんちゃざかりのこの年頃。ふたりは世界から少しだけ隔離されたようなこの空間を気に入り、その後の数年間、たびたびこの教会に出入りした。大人の目の届かない場所。スザクとルルーシュしか知らない場所。それは、ふたりだけの秘密基地だった。







 最近、ハッキングのスキルを身につけたんだ、とハイスクールの前期考査を終えた帰り道にルルーシュが言ってきた。彼にしては珍しく楽しそうだったけれど、発言内容は物騒だ。
「なんでまたそんなスキルを?」
「別に、なんとなくうちのパソコンをいじってたらできただけだ。心配しなくとも必要に迫られてとかそんな物騒な動機はない」
 それならいいけど…、と笑って返しながら思考を見抜かれてるなぁ、と内心苦笑した。表情に出ているのかもしれない。
「パソコンっていうと、あそこにあったよね」
「あそこ?」
「ほら、僕らがプライマリースクールの頃によく行ってた教会」
「…ああ、あれか」
「すごく型の古いパソコンで、ルルーシュも気にしてたよね」
「そう、だったな」
 初めてあの屋根裏にあがった日、スザクが奥で見つけたのがそのパソコンだった。たくさんあったガラクタの中で一番ルルーシュの興味を引いたのがそれで、彼はさっそく起動スイッチを押していた。すると、盛大な音を立ててファンが動き出す。果たしてこの大きな音は始めからそういった仕様だったのか、それとも老朽化によるものなのか。不明だ。
 スザクはしばしルルーシュの横で彼がいじる機械の画面を眺めていたが、早々に興味をうしなって別のものを見にいった記憶がある。しばらくして彼がやってきたので、何か面白いものはあったのか、と尋ねると間をおいていや、と答えた。妙に歯切れが悪く、それ以後も気にかけている様子だったがあえて突っ込んで尋ねることはしなかった。今なら、教えてくれるだろうか。
「…あのときは訊かなかったけど…ルルーシュ、妙にあれのこと、気にしてたでしょう?何かあったりしたの?」
「実は――」
 言いかけたルルーシュは、しかし言葉を切ってくるりと方向を変えると歩きだしてしまう。
「え、どこ行くの!?」
「教会だ。思いだしたらちょっと試してみたくなった」
 試す?何を、と行き先はわかったものの要領を得ない。でも、ルルーシュはここで説明する気はないようでずんずん先へ行ってしまう。仕方なく小走りに追いつくと、黙って彼に従った。あそこへ行くのは一体何年振りだろうか。




 記憶にあるものと変わらない姿でその教会は僕らの前に姿を現した。森を抜け、ぽっかりと開けた緑の向こうにたたずむまっしろな壁。相変わらず鍵のかかっていない扉を開き、奥へ進む。ぎしり、ぎしり。無言で階段をのぼった先もやはりかわらない空間。件の機械があるはずの奥に向かってそろそろと進むと、ガラス越しに燦々と照る太陽光が舞い上がった埃をきらめかせた。
「――これだ」
 床に直接置かれたパソコンはやはり型が古く、大きい。起動スイッチを押して腰をおろしたルルーシュにならい、横に座った。
 時間をかけてたちあがったデスクトップ画面を確認し、メニューから何やらさがしていたルルーシュが視線はそのままに、「これ、ブロックファイルがあるんだ」と告げた。覗きこめば、確かに単純にクリックしても反応を見せないファイル。
 にやり、と口角をあげたルルーシュがキーボードを叩き、ひとしきり何かを入力すると、画面には新しいフォルダが開いていた。
「ルルーシュ、これ…」
「見つけた当時はどうしても解除できなくて諦めたんだが、まあ、今の俺にかかればこんなものだ」
 だから「試す」だったのか。納得し、感心した次に頭をもたげたのはブロックされていたフォルダの中身。隠されれば隠されるほどに知りたくなるのは人間の性だ。
 そこにはいくつかのファイルが保存されていた。
「ねぇ、」
 ルルーシュと視線を交わし、頷きあった。彼の手がマウスを滑らせ、一番上にあったファイルをクリックする。


――最近、ふとしたときに昔のことを思い出す。僕が僕であった頃。仮面の英雄などではなく、名前をもち、大切なひとたちがいた頃のことだ。
 ゼロレクイエム。彼と僕がそう名付けたあの計画が完遂したあの日から、もう30年が経つ。世界は落ち着きを見せ、最近では僕の出番は滅多にない。時代は次世代へと移りつつある。彼との約束は果たせたのだろう。
 ゼロとしての役目を終えた僕はわからなくなってしまった。30年前に死んだ僕は墓の中。そしてゼロももう必要ない。なら、今ここにいる僕は誰なのだろうか。何のために生きている?もう生きている必要はな――いや、いき、る。いきなければ。



 “ゼロ”ということばには聞き覚えがあった。歴史で習って、今日の試験でも問題になっていた。悪逆皇帝と呼ばれた第99代ブリタニア皇帝を斃し、世界に平和をもたらした英雄。これはまさか、あのゼロの手記、なのだろうか。
 どくん、と心臓が痛いくらいに脈打った。それは隣りにいるルルーシュも同じようだった。奇遇にも、彼の名は、他でもないかの悪逆皇帝と同じなのだ。急くように次のファイルをクリックする。


――ギアスの影響だろうか。いきろ、と彼の声が響くたびに必要以上に命をすり減らしているのかもしれない。身体がいうことをきかなくなってきた。
 ナナリーが用意してくれた僕の隠居先は田舎の森の果てにある教会だ。使われなくなったそれに、最新のセキュリティーをつけた上で与えてくれた。教会だが、改装されていて生活に必要なものはそろっている。広い聖堂で眠るのも落ち着かないので、階上にあった屋根裏にベッドを置いてそこで起居することにした。ステンドグラスからこぼれおちてくるなないろの光は、何もなくなった僕の心を慰めてくれる。ただただすべてが静かで、どこまでも起伏がない。



 ナナリー、とはやはりあのナナリー、なのだろうか。ナナリー・ヴィ・ブリタニア。悪逆皇帝の実妹。しかし、兄がゼロの手にかかったのち、ブリタニアを変えるために尽力し、多くの人々に慕われた新生ブリタニアの象徴。
 そして彼がこの手記を書いた場所というのが、おそらくここだ。もうセキュリティーは残っていないが、森のはずれの教会。屋根裏での生活。確かに、奥には埃をかぶったベッドも残っている。


――C.C.が来た。最新のセキュリティーをものともせず、僕の前に現れた彼女は相変わらず豊かな若草色の長い髪で、お前も老けたものだな、と金色の瞳を細めて笑った。そしてファイルをパソコンに落とすと、奴との約束は果たしたぞ、とだけ告げて去ってしまった。


――ファイルを聞いた。久々に聞く彼の声が懐かしく、何度も何度も聞いてしまった。彼がくれたことばはやさしすぎて、胸の奥があつくてくるしい。そうだ、彼はいつだってすぎるほどにやさしかった。
 感傷、だろうか。彼が消せといったファイルを消すこともできず、かつての、名前をもった個人だったころのことが脳裏を駆け巡る。彼に伝えたかったはずのことばが尽きず溢れかえってくる。もう、彼に会うことなどないというのに。彼のくれたことばに報いる方法など、ない、のに。



 そこで、フォルダの一番下にある一つだけ形式の異なるファイルをみた。これが消せずに残したという件の音声ファイルだろうか。隣りのルルーシュは躊躇しているのか、なかなかマウスを動かそうとしない。
「ルルーシュ、」
「ゼロの書いている彼、といのは…誰だと思う?」
「わからない…ゼロレクイエム、っていう言葉があったよね。あれって、なんなんだろう。ゼロの鎮魂歌……?」
「一番大きな事件というと、やはり悪逆皇帝を殺したことだが…ゼロは“彼”と共謀して皇帝を斃したということか。いや、でも」
「きっと、このファイルを全部見ればわかるよ。とりあえず、この音声ファイルを聞くけど…いい?」
「、わかった」
 僕はルルーシュの代わりにマウスに手を添えた。カチカチ、とダブルクリック。


 がさがさと人が動く気配。マイクを数回たたくような音ののち、声がした。ルルーシュよりも少し低い声は、それでもルルーシュにとても似ている。彼自身もそう感じたのだろう。ぴくりと肩が震え、しかし黙って耳を傾けている。


『――俺だ。久しぶり、とでもいおうか。これを聞いているということは、C.C.はきちんと約束を果たしたようだな。まあ、人の最期の頼みを無下にするようなやつではないが。
 お前が俺の願いを叶えてくれたあの日から何年だろうな。お前はきっと、俺の遺していった仮面をかぶって世界のために生き続けてきたんだろう。俺たちが創った世界は、すこしはやさしくなったか?ナナリーがのぞんだような世界になっただろうか。
 本当は、俺も自分の目でその世界を確かめたかった。だが、それは俺の役割じゃなかった。代わりに、お前がその眼に焼きつけてくれたことと思う。次に会うことがあったなら、話して聞かせてほしい、というのはわがままだろうか。
――俺は、お前に罰を与えた。俺を殺せ、そして私を滅して世界のために生きろ。酷だっただろうと、思う。でも、お前にしかできないことだった。実際にこれを聞いているということは成し遂げたんだろう?C.C.には、お前が役目を果たしたころにこのファイルを渡すよう頼んでおいたからな。
 お前が本当はどう思っていたのかはわからない。確かに俺はお前の――ユフィの仇だった。それでも、俺は。……俺は、お前のことを誇りに思っていたよ。お前に出会えてよかったと、そう思っている。わが騎士、枢木スザク。
――そうそう、このファイルは聞き終えたら消せよ?…これまでありがとう、スザク。願わくば、また、いつかどこかで会えるといいな。俺のわがままだが』



 くるるぎ、すざく。ファイルが沈黙したのち、小さく呟いてみた。くるるぎ、すざく。
 僕の名前と、同じだった。そして、この声の主は何といった?「わが騎士」と言わなかったか。
「る、るーしゅ、」
「あ、あ」
 ゆっくりと、ふたりで目を見合わせた。
「これって…」
「ゼロは、枢木スザクで、ゼロのいう彼というのは――」
「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア…」
 そして、その先に見えてくるのは歴史を覆すような真実ではないか。どくどくと、激しくうつ心臓を深呼吸をしてなだめる。思いがけない事実を前に、指先が冷えていた。
 それでも、ここでやめるわけにもいかず、先ほどの続きのファイルを開いた。


――生前、僕は最後まで本当の意味で君の罪を赦すことはなかった。君の騎士となったときでさえ、本当の意味で君を赦し、心を開くことはできなかった。でも、今ならすべてを受け入れて語ることができると思う。
 もう君が読むことはないだろうけれど、冥土の土産にもっていくよ。僕の真実を。



 続いて親愛なるルルーシュ、と手紙の型にのっとったことばがあり、そこから先はゼロ――否、“枢木スザク”の生涯にわたるすべてが記されていた。
 大切な友達とその妹を守るために、実父を手にかけたこと。ブリタニア軍に入ってからの蔑まれた日々。再会の喜び。敵対した黒の騎士団への疑問と、親友への猜疑に悩んだこと。ユフィの騎士になってからのしあわせな日々。理不尽に奪われた悲しみ、憎しみ、そして苦しみ。親友を売ってナイトオブラウンズになってからの乾ききった心。すれ違い続けるもどかしさ。そして明日のために再び手を組み、死にゆくかつての親友のための騎士となってからの2か月の葛藤と覚悟の繰り返し。己を殺すための準備を着々と進める皇帝の見せるやさしさに傷ついて。それでも、結局当初の予定どおり成功した計画。彼を貫いた瞬間の涙。抱きとめられないもどかしさと、それから続いた重責の日々。
 赤裸々に綴られた手紙は、最後にこう締めくくられていた。

――やっぱり、君と一緒に明日をむかえたかったな、ルルーシュ。




 すべてを読み終えた僕らは静かに涙を流した。偶然にも同じ名前をもったふたりの人間。他人なのに、どこかそうは思えない。彼らが負った重たい真実は、やはり歴史を揺るがすものだった。そう歳も変わらなかったはずの彼らの覚悟は壮絶で、そしてそんな彼らの望んだものはとても些細で。ささやかなそれさえ望めない時代の流れの中、失われてしまったものが今、僕らの手によって紐解かれた。


「ルルーシュ、」
「なんだ?スザク」
「僕らが生きてるこの平和な世界は、見えないところで彼らみたいな人たちが必死につくってくれたものだったんだね」
「…そうだな」
「ねぇ、僕は今、君と一緒にいられてしあわせだよ」
「ああ」
「ルルーシュは?君はいま、しあわせ?」
「――しあわせだよ、もちろん」
 紫色の瞳が涙に濡れてきらりと光る。自分の涙と彼のそれを拭い、その手を取った。そして、そのまま階下に降り、静かにたたずみ続けるキリスト像の前に立った。手を繋いだままルルーシュと向かい合う。横からキリストが慈愛の瞳で僕らを見守っている。
「明日も明後日も、ずっとずぅっと、ふたりで迎えようね、ルルーシュ」
「…約束だ、スザク。ずっとずっと、生きている限り」
 祈るように、僕らは瞳を閉じた。




明日に向かってアーメン、




(09.09.28)
※アーメン…ヘブライ語で「そうでありますように」
ルルーシュ一周忌記念企画へ。ふたりの前途にしあわせあれ!! 
主催*秋穂もゆ